広報 わ か さ - Wakasa, Fukui · 売ったり潰したり することは忍びなく、かといって大 きな建物なので、どうやって維持 していこうかと思っているところへ
Title 沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(11): 95-160 Issue...
Transcript of Title 沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(11): 95-160 Issue...
Title 地球環境を追って
Author(s) 宇井, 純
Citation 沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(11): 95-160
Issue Date 1994-03-01
URL http://hdl.handle.net/20.500.12001/5804
Rights 沖縄大学教養部
沖縄大学紀要第11号(1994年)
報告(含む資料)
地球環境を追って
宇井純
(1)研修旅行報告(93.4.10土曜教養講座にて報告)
こんにちは、大変ご無沙汰いたしました。
今ご紹介いただきましたように沖縄に来ましてから6年間ずっと働いており
まして、そのあいだにどうもかなりストレスがたまったらしく、心臓の血管が
詰まっていて造影剤を入れて見た時に私もびっくりいたしまして、これはほと
んど完壁に詰まっている、いつ心筋梗塞の発作が起こってもおかしくはないと
いう話ですっかりおどかされまして、琉大の病院の先生方がこれは大丈夫、バ
イパス手術で良くなるからということで手術をしてみました。何といっても生
まれて初めての経験なので本人はうまくいったのかどうかよくわからない。こ
んなもんだろうなという事しかわかりませんが、たしかにやる前よりはだいぶ
楽になったというか疲れやすさなんかは取れたなということと、それで手術を
してくださった先生方は自信満々でして、大丈夫だもうくっついているからと
手術が12月ですけれども4月から旅行に出ても大丈夫ですよと言うことを信じ
て、幸いに途中で発作でひっくりかえることもなく元気に行って来られまして、
予定通り丸1年沖縄大学の海外研修ということで休ませていただきました。こ
れは大変有り難い制度でして、以前もこういうことを東大でやったことがあり
ますが、その時は助手だったものですからはじめの1年だけはなんとかかんと
か渋々給料がでたんですが、だいぶ教授会で文句を言われまして2か月ほど最
後は休職処分されまして、あとあとまでマイナスが響いたことがあります。そ
の点私立大学の沖縄大学のほうが国立の東大よりもいい待遇で、ちゃんとボー
ナスまで払ってくれましたからこれはいい制度だと思います。今後もこういう
機会をどんどん利用して先生方がリフレッシュするということは必要だなと痛
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感しました。私も6年ここで講義して来ましたが、だんだん同じことの繰り返しになってまいりまして新しいことは入ってきませんで、こんどアメリカについては10年ぶりにしばらく滞在しましてみたところ、やはりこれは来てみないと解らんことがあるなということを痛感しました。ですからその成果はこれからの講義やいろんな活動に反映できると思いますが、小さい大学ではおもいきったいい制度であると感じます。
囮沖縄での苦労
正直な話、沖縄に来ましてから曰本の外のことに構っている暇がなかった。それはご承知のように新石垣空港をはじめとして沖縄県内の問題というのは、あまりにも目の前でめちやくちゃなことが進行するものですから、それをともかくも多少なりとも食い止めるのに精一杯だったと言うことが正直なところであります。特に新石垣空港の問題については、なんといったって県庁という権力をもったところが計画を進めるものですからどんなインチキでも通る。インチキのところを掘り起こして、誰が見てもこれはおかしいじゃないか、やめたほうがいいというふうなことを-つこしらえるために、何か月かこちらは足で歩かなければならない。新石垣空港でこんなばかばかしい事がおこっているということがいくつもあったんですが、ひとつはたとえば工事のために士をとるところには雨がふるから、そこへ降った雨は海へ泥を流さないように沈殿池をつけます。埋め立てをじゃんじゃんやっているリーフの中の珊瑚礁の中の埋め立て地の方は雨は降らないから何もしなくていいんです。こんなものが環境アセスメントとして通る、通るというか出てくる。これはおかしいじゃないか、たった4キロしか離れていない土採り場でどしゃぶりの雨が降って、それで埋め立て地は雨も降らなきゃ台風も来ない、潮の干満もなんにもないとはおかしいんじゃないかということになると、いやこれはこれでいいんですというふうなことを、半年くらいは県庁はがんばります。県庁と押し合っていてもしょうがないから環境庁なり建設庁なりに行ってこんな馬鹿馬鹿しいのがあるけど、どうする気だ。これはいくらなんでも酷いからちょっと考えます。というふうな繰り返しです。
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あるいは十分な対策を立てたから泥は一切流れません。その証拠に同じ工法
でやった奄美の空港は全然珊瑚に損害はありませんと言うから、行ってみると
珊瑚は全滅、こういう事実を積み上げて動きが取れないようにして、さあどう
だということをやらないと権力というものは足を止めない。何を言うか沖縄大
学ごとき私立大学の吹けば飛ぶような大学教授が、沖縄の東大と言われた琉球
大学の教授に対してけちをつけるとは何ごとだというような調子で権力が押し
通る、これが沖縄の実情です。ですからその中で互角に喧嘩をするためにはど
うしたって相手の3倍ぐらい勉強しなければならない。3倍くらいの時間とエ
ネルギーを掛けなければ互角にならない。これは沖縄だけではありません、日
本全国どこでもそうでありまして、曰本全国の住民運動はやはり相手の3倍5
倍の努力をしてどうにか互角に喧嘩を進めてきたんですが、沖縄でもその通り
でありまして、それで時間はとられる、それからストレスはたまるということ
で、これで病気にならなかったほうがおかしいのですが、ともかくそれでも命
はとりとめたということで、沖縄の外のことをかまっている暇はほとんどあり
ませんでした。その間にやはり事態が進行しているらしいという噂、あるいは
ニュースはぽちぽち入ってきました。例えば台湾とか、韓国とか東南アジアと
か時々通りがかりに眺める程度でも、これは公害がえらいことになっているな
というのがわかる状況がありました。ですからこのへんでやっぱり1年かけて
すこしゆっくり見なおしてこよう、そして曰本の経験がどこまで通用するのか、
ひょっとすると曰本で我々が経験したことというのは世界のかなりの部分で共
通に起こっているんではなかろうか、そうすると曰本の経験をどうやって先手
を打って伝えるかということがこれからの仕事になるのではないかという予感
をもちながら歩いてきました。案の定、やはりそういう現実にぶつかりました。
囮カナダ・モントリオール郊外のもう一つの生き方勉強会
たまたまリオの地球サミットの前にカナダで会議がありました。カナダの白
人の研究者から手紙と電話を貰いまして、どうも白人が作ってきた文明とは非
常に破壊的である、これまでその破壊的な文明が原住民の文明などを滅ぼして
きたのだが、あきらかに行き詰まっている。あらためてもっと自然に対して優
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しい、自然のなかで生きている原住民の文明から学ぶ必要があると思うのだが、
もう残っているのはいくらも無い。アジアでは、例えば沖縄はまだ残っている
と聞いたが、あるいはアイヌの生き方には勉強になるものがあると聞いたが、
そういうグループがあったら送ってくれないだろうか、もちろん旅費は持ちま
すという話です。それからおまえも来てくれないかという話があって、いろい
ろ調べてみたけれども、沖縄ではそういう目に見える形で伝統的な暮らしをし
てきた体験をもっているグループはなかなかみつからない。こっちからあの人がいいんじゃないかという場合には、また地元で忙しかったりなんかしてそん
な事に出掛けられるかというふうな事情もいろいろありまして、アイヌの方も同じような状況で、やはり固有の生き方をずっともってきている所はほんとに
わずかになってしまって、とても動きが取れないということでちょっとこれは
無理だよという話になりまして、じゃあ、まあ曰本から何を持って来れるんで
すかというわけですから、それほど目立ったものではないかもしれないけれど
も、すくなくとも1950年代ぐらいまでの曰本の伝統的な農村生活を今やってい
るグループはある。まあヤマギシ会というのを多少付き合いがあって知ってい
るからそこではどうだといったら、なんでもいい、ともかく曰本の伝統的生活
が解るもんならどこでもいいです、という話になりまして、ヤマギシ会の方も
今まであんまり外に出たことは無いけど-度行ってみましょうかというので、何人かの人が参加してくれました。沖縄ではあまりヤマギシ会というのは知ら
れてないんですけども、だいたい三重県から京都府ぐらいにひろがった、一種
の新興宗教に分類すればできないこともないんですが、要するに私有財産を持たないで皆で一緒に暮らして、そして何ごとも相談ずくで決めて有機農業をや
るというグループがある。割合にのんびりして縛りがすぐないものですから、
例えば自主講座にきていた若い人がいつの間にか見えなくなったなと思ったら
ヤマギシ会に入っていましたとか、逆にヤマギシ会でちょっと行き詰まったん
でこんどは自主講座に来てみますとかいうふうなことで人の行き来があったの
で知ってたものですから、そこへ話しましたら大変カナダでも喜ばれまして、
たしかに私有財産を持たないというのは白人の社会ではめったにないことです
し、キリスト教の宗派の中でこれまで歴史的にそういうものが幾つかありまし
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たけれども、宗派になりますとこれは当然かなり集団としてがっちりした枠組
みをもっているわけですね。例えばアメリカでよく知られているアーミッシュ
なんかは自動車は使わない。それから着ているものは汚れが目立たない黒い服
だけで、20世紀に入っての文明の力っていうのは原則として使わない。だから
村の中で使っているのは馬車とそれから牛がスキを引いていてトラクターはあ
りませんという暮らしがあります。アメリカのような開拓地に入ってきた集団
というのは幾つもそういった宗派があって、曰本でも去年ちょっと知られるよ
うになりました手作りの家具で非常に質のいいものを作ってそれで暮らしてい
たグループがありまして、ちょっと詳しいことを度忘れしましたけれども、た
しかシェーカーといったようです。曰本で展覧会力潤かれて、かなり有名になっ
たというふうな事例があります。ですが、そういうキリスト教の中で少数派の
グループとか、あるいはヤマギシ会のような曰本の伝統的農業を共同生活でやっ
ているグループとか、現状からあんまり大きくかけはなれることは無くて、少
しずつ現状を変えていこうという考え方を実行しているグループと、もう片方
にアメリカ大陸原住民のインディアンですとか、あるいはオーストラリアのア
ポリジニとかアフリカの部族社会とか自然の中で育ってきた自分の文化をとも
かく頑張って守って行こうというグループがありまして、これは白人社会から
するとかなり違ったというか、そもそも発生の元が違う、次元の違うようなと
ころもあります。そういう解りにくい所からも学んでいこうという空気が出て
来ました。これは曰本ではそこまで行ってないのですが、ヨーロッパや特にカナダなんかですと相当いろんな所で、特に宗教関係がだんだん行き詰まって多
様化してまいりますから、その中でいろんな生き方から学ぼうという動きがずいぶんあるようであります。この場合はかなり組織的に一種の勉強会を作って
勉強をするんだという機会がありまして、私もおおいに参考になりました。何
と言っても環境問題というのは、そういう中で一番大事なひとつの基盤になります。環境を壊さないでどうやって生きて行くかということをカゴ土台の一つに
なりますから、そういう点では参考になりましたし、曰本の在来農業のやり方
である有機農業のヤマギシ会が、大変評判が良かったというか期待されたのは
有り難い次第でした。
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田ブラジル社会の変化の動き
これはブラジルに行ってみたら実はもっと大きな問題だったという事に気が付いたんですが、今まで私はブラジルに何回か行っておりまして今度は4回目なんですけれども、今まではせいぜい長くて2週間、短い時は3曰間なんていうひどい曰程がありまして、会議に出るとかそれが精一杯だったんですが、幸い今回はこの沖縄大学が、サンパウロにありますマッケンジィ大学と提携をする話が進んでいまして、先方に知念先生という沖縄出身の法律の先生がいらっ
しゃって、この先生が中心になって話を進めているんですが、大変に事業家としても成功された方で、町の中にアパートの空いているのを持ってるもんですから、そこへ入れていただいて、そこがサンパウロの町の目抜き通り、-番にぎやかなところということは一番物騒な所ということですが、そこでしばらくゆっくり大学の様子とか町の様子とか見る機会ができました。今まではそういう機会が無かったものですから、ブラジル社会というものを十分つかみきれなかった。今度はややゆとりをもって見ることができました。なにぶんにも凄まじい所でありまして、まあ我々が行きますとまずびっくりするのは、食べ物をはじめ何でもある豊かな国で、何でこんなに貧乏人が多いかということですね、1曰1パーセントのインフレで町を歩いていても、ひったくりに気をつけない
とあぶなくて歩けないサンパウロの町中です。これはだいたいブラジルの大都市はほとんどそうだとういうことでして、表通りだけみると見えにくいものですが、ちょっと裏へ入るといたる所にスラムがありまして地方から流れこんで
きた食うや食わずの人達がそこに住みついて、そして仕事もありませんから、かっぱらい、ひったくりというのもりっぱな職業になるという状況です。中南米全体にある程度共通にあるわけですけども、その中で何とかしなきゃならな
いという考え方は当然スラムの人間を含めてあるわけですが、一つの現れが例えばペルーで出てきた、まともな政治家をかついでまともにやろう。それには
曰本人が真面目だから日本人をかついでみたというフジモリ現象ですね。これはサンパウロなんかでもやっぱり最近曰本人や沖縄人の政治家が州議会ぐらい
まで出てくる。あるいは国会でもぽちぽち出てくるというふうなかたちで、信用されてかつがれている動きとしてひとつあります。つまり政治を上から何と
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か改革しようとしてブラジルの場合には、ちょうどこの流れが地球サミットの
直後に表面化してきまして、大統領が首になったんですね。汚職をやっている
というので上院で首になって、そして上からの改革路線というものは少なくと
も一歩は踏み出された。
しかしそれと平行しまして、下から変えていこうという動きもあるわけです。
それで今から10年くらい前まで新左翼の運動として非合法左翼、都市ゲリラや
何かの形で出てきたんですが、これはどうもやはり壁にぶつかり挫折しましたo
今度は合法的に地方自治体、例えばサンパウロの市ですとか、あるいは比較的
成功してよく知られているのがパラナ州の州都クリティバですけれども、そう
いう市町村のレベルで下からの改革をやっていく手段がないか、クリティバな
んかは治安もいいしブラジルで一番綺麗な町だということで、ごみも無い、リ
サイクルも徹底しているというかたちで、成功している例としてよくあげられ
ます。今度も世界環境都市会議というのがクリティパで開かれまして、曰本か
らもずいぶん人が行きましたし、やっぱりブラジルのなかで他の町を見ますと
クリティバというのはずば抜けてきれいで安全な町で目立つ。少なくともそこ
では政治がまともに機能をしているという印象を受けます。そういう上からと
下からの両方の改革路線がブラジルのようなめちゃくちゃな国でさえ進行して
いるということは事実です。そのなかで、しかも曰系人、沖縄出身者も多いも
のですから、その人達が非常に高く評価されている。事業も成功しているとい
うのは大変心強い事態でありまして、日系人の悪口を言う人間は全くいないし、
それから沖縄にいますとて_げ-な沖縄人に随分ぶつかるわけですけど、ブラ
ジルにいくとまず見当たらない。人が変わったみたいに皆頑張るというところ
でして、私もいろんな会合にやはり引っ張り出されて、環境問題、公害問題に
ついてずいぶん話をさせられました。集まって来ていた沖縄出身者の事業家達
も非常に熱心で、真面目に聞いて熱心に事業をやって成功している例がほとん
どです。もちろんなかなか失敗例というのは我々の目に見えるような所に出て
こないということはあるのですが、全体として大変評価が高いというのが、ブ
ラジル社会の中での日系人の状況です。
これには確かにだんだんブラジルの社会が解ってきますと根拠がある。とい
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うのは、何しろブラジルというのはポルトガルが植民地にした国でありまして、
15世紀、16世紀からポルトガル、スペインの大航海時代という植民地ぶんどり
合戦が始まったわけです。これはまあむちゃくちゃなものでありまして、つくづく沖縄にしても日本にしても地球の裏がわにあったのが運がよかったという
ことであります。多少カリブ海の歴史なんかを調べてみますと切り取り強盗、
そこにいた原住民をこき使って働かして死に絶えちゃったら、こんどは黒人を
奴隷として入れてきてこき使って砂糖で儲けて、その儲けた分はみんなスペイ
ンとポルトガルが持って行ったんですが、その割にどっかいっちゃったわけで
すね。今になってみるとちっとも残っていない。もの凄い金を持って行ったはずなんですが、全然残っていない。ポルトガルが一番ヨーロッパに近いレシフェ
のあたりに上陸しまして、それでさとうきびを植えたら大いに儲かった。当時
のさとうきびは随分太かったらしいのですが、今行ってみましても親指ぐらい
の太さはあります。肥料なんかはやったこと無い、400年間肥料をやらずにさ
とうきびを作り続けてそれでも親指の太さがあるんですから、最初はどれぐら
い肥えてたか見当がつかない。沖縄ですと、肥料をやらないと人差し指ぐらい
の太さになっちゃいますから、レシフェ周辺のブラジルの場合にはよほど肥え
てたらしいんですが、さとうきびがあまりできないとなると今度は胡椒を植え
て、胡椒がまたできなくなりますとコーヒーを植えて、コーヒーができなくな
りや今度は次の土地があるざと、だんだん南の方に行く。リオデジャネイロの
奥がミナスジェライスという州ですけれども、これはどこでもみんな鉱山とい
う名前なんですね。ポルトガル語でどこでも鉱山というのをミナスジェライス
というので、どこを掘っても金が出てきた、何かお金になるものが出てきたと
いうところで、そこもみんな掘ってしまいまして、それから今度はサンパウロ
の方に行って、サンパウロも大体コーヒーが行き詰まってあんまり採れなくなっ
たから、もう少し奥の方へ行こうか、そこでパンタナールとかアマゾンとかが
今狙われている。アマゾンの場合の開発なんかも非常に舌曝なものでして、こつ
からここまで畑にしますとなりますと火をつけて焼いた後、牧場にしてそれで
10年もすればあんまり草も生えなくなりますから、そこは終わり、また新しい
ところに火を点けていくというのを繰り返して行くわけですから、そこに住ん
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でいた原住民なんかはたまったもんじゃありません。どんどん追い立てられて
滅亡して行きます。地球サミットでもよく南北問題の中で議論された、先進国が地球環境を色々言うのはけしからんじゃないか、俺達は環境を開発する権利があるというふうな事をブラジルやマレーシアの政治家なんかが言って、南北
問題は難しい問題という話になったんですが、ブラジルに行ってみますとこれはよくわかる。つまり今まで切り取り強盗をずっとやってきて最後に残ったの
がアマゾンである。そいつをまた思いどおりに切り取り強盗をする権利がある
と言っているのがブラジルのエリートであって、こういう連中はいくら土地があったって足りることがない。10年もすればまた土地を枯らしてしまって次の土地に行くに決まっている。だから環境問題における南北対立というのは誰が言っているのかということについて眉に唾をつけてじっくり聞かないと、とんでもないインチキな議論が出てくる。
囮アジアの持続性農業
その中で例えば曰本の農業というのは同じところで畑を作って肥料を入れて、
そして何十年でも同じ土地で生きていこうというんですから明らかに異質です。我々の農業のイメージというのは持続可能な発展のイメージでして、何十年何百年同じ所で土地を肥やしながら生きていくのが農業のイメージなんですが、ラテンアメリカの農業のイメージは違います。肥料もやらずに、作物をまいて
採れたものはみんなひったくってどっかへ持って行って、何にも生えなくなったら最後は放牧です。牛を放して、これは何にもしなくても増えますから、増えた分を採っていればいいというのが、これが農業のイメージです。ですからラテンアメリカあるいは南ヨーロッパの農業のイメージというのは非常に掠奪的でして、我々が持っている農業のイメージとはまるっきり違う。そこへ北ヨーロッパのもっとやせた所あるいはアジアの農業が入ってきますと、これはせっせと土地を耕し肥料を入れてこつこつやるもんですから、周りで見ている方があっけにとられるんですね。ヤマギシ会の農場が、やはりサンパウロ州にありまして1,000ヘクタールほどのオレンジ畑を手にいれた。オレンジ畑というの
は、30年に-度ぐらいずつ木を植え直さないといけないんですけれども、日本
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でやっている流儀でオレンジの苗木を植えたときに、堆肥を入れたら周りの連
中がびっくりした。木を植える時に堆肥を入れるなんてことは初めて見たとい
うんですね。曰本から行った方はそれが当たり前で、堆肥を入れないでオレン
ジを植えるなんて考えたこともなかったと言うんですけれども、周りの人間は
日本人が堆肥を入れるのを初めてみた。そういうふうに手をかけて植えますか
ら、1ヘクタールだいたい1,000本くらいの苗木を植えますけど、植えた人は
全部覚えているんですね、どの苗木はどういうふうなかっこうだったとみんな
頭に入っているというその話をすると、やっぱりブラジルの連中はみんなあっ
けにとられる。曰本人というのはコンピュータみたいな頭を持っているな、1
枚の畑に1,000本植えたやつが全部1本1本覚えているということが信じられ
んという話になるんですが、そういう農業についての非常に広い考え方の違い
があるなかで日本の農民というのはどうやら定着している。これは曰本だけじゃ
なくてヨーロッパの農民でもスペイン、ポルトガル以外はもう少しまともにや
ります。ですからヤマギシ会の村の側にオランダっていう村がありまして、こ
こはオランダの農民が定着したんですが、ちゃんとチューリップを植えて花で
儲けて食っています。これもブラジル流ではない、かなり定着した農業ですね。
我々はイタリーなんていうと随分ちゃらんぽらんで、いい加減なもんだと思っ
ていたんですが、ブラジルにいくとイタリーは随分真面目な方に入りまして、
だいたいパラナ州の移民というのはドイツ人とイタリー人が多いので、やっぱ
り農業がちゃんとやられている。北の方に比べて遥かに生産性が高いというこ
とになっています。そういう点ではブラジルの農業も新しい動きが出てきて、
今後はもっと持続可能なものになるかもしれない。それで分配が旨くいくとす
ると日本よりは随分ましな国になるだろう。よくブラジルの人に日本を説明す
るのに、だいたい曰本の面積とサンパウロ州が同じくらいの広さで、8割が山
で人が住めませんで残りの2割の平らなところにだいたいブラジルよりちょっ
と少ないぐらいの人口が住んでいます、というと皆あっけにとられるんですね。
あんな狭いところにどうやって1億2千万人入っているんだというから、他に
行く所がないから入っているんです、それぐらいのやり方でやればブラジルは
20倍以上の広さがありますから3億人や5億は食えるでしょうね、という話を
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すると皆納得してくれるんですね。やっぱり今のブラジルの政治と経済がおか
しいから食えないのであって、まともにやりやあ曰本より遇かに豊かに食える
はずだという可能性のある所です。その点では曰本の農民の進出というのはブ
ラジルの役にたっているなということを痛感します。
囮政府間会議の評価
そこで開かれた地球サミットの方は、これはルーズなブラジル調プラスどこ
でなにが起こっているかわからないということで大混乱でありまして、よく国
際会議として期曰以内に治まったもんだというか、私も中へ入っていたもので
すから、どこで何が起こっているのかさっぱりわからん。そこへもって、異常
気象で非常に暑い時期だったものですから暑さに参ってしまいまして、2.3
曰寝込んだりしてさっぱり様子がつかめなかったところがあります。20年前の
ストックホルムの国連環境会議の時は民間団体が随分いろんな企画をやって政
府を突き上げたんですが、その時の各国の仲間をほとんどみかけないんですね。
どうしたんだろうと思って聞いてみますと、だいたい曰本以外は政府の代表団
に民間団体が入っていろいろ助言したり政府を誘導したりして、日本だけが民
間団体というのはともかく政府の言うことをきかない反体制だから中には入れ
ない。ブラジルがやはり政府がうまく民間の力を使いこなせなくて、弾き出さ
れた民間団体が民間会場で気勢を上げていたようでした。結局、民間会場で一
番目立ったのがブラジルと曰本で、両方とも政府の団体に入れなくてそれで自
分達で気勢を上げていた。それはそれである程度効果はあったんですけれども、
他の国は巧みに民間団体の力を取り入れているところがほとんどであった。こ
れは日本政府としても我々としても両方反省しなきゃならないことでして、あ
とでこの事についてもう一度触れますけれど、地球環境について例えば竹下さ
んなんかが大変熱心だということについて我々は初めちょっと意外な感じがし
たんですけれども、これはヨーロッパやアメリカなんかではあたりまえだとい
う状況を、もう一遍我々は見直す必要があるだろうと思います。ただ国際会議
としては、保守的あるいはおよび腰で全体のまとめの足を引っ張ったという批
判を浴びたのはアメリカ、イギリス、曰本で、そのなかでアメリカは特に共和
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党政権のブッシュさんが表向きはいいこと言ったんだけれども、実際には生物
種の多様化条約なんかは調印しない。それから妥協点をみつけるためにいろい
ろ皆が相談するときにアメリカが反対だからということで、だんだんに合意の
線を引き下げて来て、最後に「調印しない」と言うものですから皆が怒っちゃ
うんですね。「おまえの言い分を入れてずっと妥協してきたのに、最後にやら
ないとはなにごとだ」ということで、アメリカは大変評判を落としました。そ
れからやはり合意形成過程でねばって全体の妥協水準を下げてきたということ
でイギリスが批判された。曰本はやや別でして、曰本はできることもやらない、
それから口ではいいことを言うんだけれども、いざという時にちゃんと動かな
いというので、-番象徴的なのは宮沢さんが忙しいから来られないのでビデオ
で演説をしますというのがありまして、これはやっぱり皆に袋叩きにされて結
局実現しなかったのがありますけれども、曰本は金は出すんだけれども、かえっ
て自然を壊すような計画に金を出している。例えばブラジルの中でもその種の
計画が幾つかありますし、それからインドのナルマダダムは世界中にも知られ
た例ですが、曰本の援助で沢山の農民が追い立てられて役に立たないダムを造っ
た。自然破壊の度合の大きいダムを造るというふうな批判があちこちにありま
して、結局国際会議で一番評判が悪かったのはアメリカ、2番目がイギリス、
3番目が曰本ということで表彰されたというのはへんな言い方ですけれども、
NGOの会議で民間団体の会議でもっとも態度が悪かった国というのを三つ上
げたら3番目が曰本になったというふうないきさつもありました。アメリカの
場合には、ただしこの後で大統領が交代しまして、クリントン・ゴアというチー
ムが選出されて、ゴアは世界を代表する環境問題に詳しい政治家のひとりとい
うことなのでかなり変わることが予想されます。イギリスはなんと言ってもヨー
ロッパの一部でそれほど影響力は大きくない。結局アメリカが方針がかわりま
すと日本が目立つことになるとは今後当分の見通しです。
囮左翼の行き詰まり
それからラテンアメリカでやはりある程度共通にあってブラジルでも目立っ
たことなんですけれども、リオデジャネイロ州とか幾つかの州では左翼の州政
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権が成立しています。左翼といっても、自分は左翼だと名のって、マルクシズ
ムのたぐいを理論として採用しているグループというぐらいのもので、本当に
左翼かどうか解りません。リオでは労働民主党というのが政権をとっているけ
れども、ちっとも労働者の党でもなきや民主主義でもないよとリオの市民は言っ
ていましたから、名前と中身はだいぶ違うんだということを皆知っているんだ
が、それでも一応左翼ということになっている。左翼の連中がいうのは環境問
題なんかに金をかければ、労働者の取り分が減る、だから環境問題なんていう
のは資本主義の二次的な矛盾なんだから資本主義を打倒すれば自動的に解決す
る、したがって左翼はそういうふうなものにエネルギーを注がないでよい、と
こういっていたんですね。どっかで聞いた議論だなあと思うと、これは実は
1967.8年ごろヨーロッパで労働党や社民党が言っていた議論ですし、それから
70年代を通じまして曰本社会党なんかがやっぱり言っていた議論です。社会主
義になれば公害問題は自動的に解決するんだから、社会主義政権下では公害は
ない。「いやあそんなことないよ、俺は東ヨーロッパを歩いて調べたけどだい
ぶ酷いぜ、ソ連とか中国ではだいぶえらいことになっている」という話をしま
したら、おまえは「社会主義の敵」だと言うんですね。社会主義を誹誇するも
のだとだいぶ日本共産党や曰本社会党、特に社会主義協会の人達から怒られた
ことがあります。実際には蓋を開けてみましたら、ソ連にしましても東ドイツ
にしましても東ヨーロッパにしましても大変な産業公害で、社会主義のもとで
こそ公害は進展するというふうな実例が沢山出てきたわけですけれども、1992
年になってもまだそういうことを言ってるのが中南米にはある。もちろん中南
米の労働者諸君に言わせると、「あんなもの左翼でも社会主義でもなんでもな
い。労働ボスだよ。あいつらの言うことなんか信用したってだめだよ」という
反応がかえって来ますけれども、一応表向きは左翼が環境問題を解決するみた
いなことをまだ言っているやつがいるというのがこのラテンアメリカの現状で
ありまして、そう長続きはしないと思いますが、要するに勉強しないんですね。
自動的に解決する問題だから勉強する必要はない。これが-歩進みますとちょ
うどスターリンの下のソ連みたいなもんで、自分達がやっている事は絶対間違
いないんだけども旨くいかないとすれば、どっかで資本家のスパイが邪魔して
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いるからに違いない。だからそいつは見つけて出して粛清しろということにな
ります。そういう過程を見てきますと、曰本の左翼なんかが言っていた「自分
達が政権をとれば全て旨くいく」というのは全然根拠のない話だというふうに
考えるようになってくるんですが、これはまたあとで沖縄の現状と照らし合わせて考えてみることにします。
ラテンアメリカで解った事は、左翼は勉強しないということでした。ただ彼
等も人気を取るカンはいいので、地球サミットが始まりまして市民が皆環境問
題に対して大変熱心に発言するようになったんで、今度は彼等飛び乗ってきま
して、それで会合なんかがあると知事さんだとか市長さんだとか、先頭に立っ
て「わが党は昔から環境問題について頑張ってきました」というふうな演説を
やります。そういうふうな事を見ていますと、昨日まで言っていた事とまるっ
きり逆な事を言って恥ずかしくないのかなと知っている人は言うわけですけれ
ども、本人は大まじめでそういう180度態度を変えて逆の行動をとるというの
がやはり目立ちました。ですから、政治家の質の悪いのはどこでも同じような
もんだなあということは感じました。もちろんまともなのもあるわけですね、
クリティバの市長なんかはまともにやってきて実績が上がってきた。それから
サンパウロの市長もかなりそういう点で評判が良かったんですが、リオデジャ
ネイロの知事というのは非常に評判が悪かった。嘘っぱちでその時に応じてな
んでも言うくずの政治家だと、労働者は言っておりました。そういう点では民
衆は政治家を見抜いている面があります。
ブラジルではそういうラテンアメリカの社会というのは非常に収奪的で、そ
の時限りの飯の食いかたをしてきた。それが今行き詰まったんだということを
痛感しました。いい例がサンパウロから海へでたところ、サントスの手前にあ
りますクパトンという工業地帯がありまして、これはブラジルでも最も公害の
進んだ死の谷として有名でありますけれども、本当に救いのないような産業公
害の激化が起こっていまして-度行ってみたいと思っていたんですが、今回ゆっ
くり見てくることができました。こういう所へ工場を作ったら必ずこうなるな
という、空気の流れのない谷間に公害企業をいっぱい作って、しかも対策を始
めから全然立てないのですから煙も汚水も出し放題ということになりますと、
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
平均寿命がちぢまる、あるいはスモッグが溜ると死者が大量に出るというふう
な事態が起こっています。あとから金をかけて多少の対策をやって、3割ぐら
いは良くなったという話なんですけれども、それでも日本からいってみますと
1965年ごろの四日市が丁度こんな按配だったなあというふうな感じですね。逆
に言いますと、曰本もそこから後だいぶ改善されたわけですから、改善しよう
と思えば手がある。ただ金がかかるからいやだと言っているだけの事でありま
して、それを強制的に金をかけろということにすれば、産業公害はかなり改善
できるということも歴史の中で解ったことであります。
囮初めてのオセアニア
その後、私はまだオーストラリア、ニュージーランドは行ったことがなかっ
たものですから、今度は行ってみようということで、しばらくゆっくり行って
きたんですが、私が行かないところというのは環境のいい所で、今までたいが
い私が行った所というのは公害問題があってしょうがなくて行った所ですね。
曰本国内でもですから全部の県は結局行ったことになりますけど、しかしその
中でも比較的後から行った佐賀県ですとか、あるいは北海道の標津の辺りなん
てのは公害が少なかったことになります。そういう点ではオーストラリア、ニュー
ジーランドは確かに公害が少なかったということは事実です。ただやっぱり行っ
て見る値打ちはあるところでありまして、実はヨーロッパ人が入ってきてから
ほぼ200年ぐらいになりますけれども、その間に随分自然が変わってしまった。
というのは、大きな変化はまず鯨ですね、一番最初にオーストラリアにヨーロッ
パ人が来たのは鯨を捕るためだったそうです。その次は海豹の毛皮を捕るため
だった。その次には木を切る、材木ですね。4番目が金です。ともかく金にな
るということでわあっとやって来て、わあつと物を持って行ったもんですから、
森林も大部分は切っちゃって、その後が牧草地になって羊がいる。これも行っ
て話を聞くまではやっぱり解らなかったですね。ヨーロッパにはないすばらし
い性質のいい木があって、1本で5軒も家が建った、というそんな太い木があ
るんですね。直径が3メートルから5メートルぐらいの巨木があって、それを
輪切りにして牛で引っ張っている写真を見ますと、なるほどこんな素晴らしい
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
木があったのか、それで木造の家屋を建てて、しかもそれがヤニが詰まってい
るものですから全然腐らない。それから軽いので船の構造材料にすると大変い
い木造船ができる。さらにはスエズ運河を建設する時の鉄道の枕木に大量に使っ
たというんですね、ですからヨーロッパの入り口までは持っていった。世界の
よその地域にはないそういういい材木がいっぱいありまして、ほとんど絶滅に
近く切ってしまったという。今お土産に輪切りにした松の材を売っているわけ
ですけど、直径30センチぐらいの松で200年とか300年とかいう年輪が数えられ
るんですね。それぐらい成育が遅い。それで全然腐らない木がありまして、そ
れを使って今度は金を掘ったんですね。金というのがまたこりや恐ろしいもん
でありまして、金が出るということになると世界中から金掘り人夫がやってき
ます。だいたいオーストラリアやニュージーランドの場合ですと、今から100
年ぐらい前にゴールドラッシュがありまして、それで我々よく足尾銅山が曰本
のグランドキャニオンみたいだ、というんですけれども、足尾銅山の何十倍の
規模の山を掘って裸にしちゃったなというのが、例えばタスマニアとかニュー
ジーランドとかあちこちにありまして、皮肉なことに丁度ビクトリア女王の時
代なもんですからクイーンズタウンという地名をつけて、クイーンズタウンと
いうのは必ず金が出て、そしてイギリスから金掘りが来て荒らした所です。オー
ストラリアの場合もニュージーランドの場合も、それが19世紀の末に大変な自
然破壊を引き起こし、金の精練のために木を切ってしまいまして、残った材木
を今売っているのが曰本だというんですね。それで今不景気なもんですから、
特にオーストラリアの中でもそういう木が残っているタスマニアの場合には、
曰本にパルプの材料になるチップを売って国有林を払い下げている。それに勿
論反対する運動も地元にありまして、森林の搬出に対して座り込んでそれを止
めようとしている、けが人が出る一歩手前までいったという座り込んだ人達か
ら話を聞いたけれども、材木屋の方もそうとう乱暴な事をやるんで、車に火を
つけて燃されちゃったとか、危うく殺されるところだったとか、かなり際どい
話を聞いたことがあります。どうするかということで、こっちもじゃあ悪知恵
を少しつけようか、どういう会社が買っているんだと聞くと、三菱製紙と大昭
和製紙だっていうわけですね。三菱も評判悪いけど、大昭和というのもあんま
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
り評判のいい会社じゃあないよ。確か2,3年前にゴッホの絵を百何十億円で
買ったのは大昭和の前の会長、これはみんなよく知っている話だね。駿河湾の
田子ノ浦をパルプの廃水でめちやくちやに汚しちゃいまして、それで儲けた金
でゴッホを買った。だから皮肉な言い方をすれば駿河湾の海を売ってゴッホを
買った。それを聞いたオーストラリアの連中が喜びましてねえ、そういう事で
儲けた金か、それじゃあ俺達もその話を利用させてもらおう、今度曰本へ代表
団を送って抗議に行くから、ゴッホを買うぐらいに儲かるんだったらもう少し
別の仕事をしろと涙じ込むことにする。おそらく7月か8月に代表団が来ると
いうことでしたから、多分これから多少ニュースになるかもしれません。
囮アマゾンのゴールドラッシュ・金が自然の息の根を止める
金の話というのはしかし、今実はアマゾンで大変な大きな問題になっていま
して、80年代にはいって今度はアマゾンで金が見つかった。そうしますとブラ
ジルの東北部の食うや食わずの人夫が、大量に20万人以上というんですけれど
も、アマゾンに流入しましてそれで金探しをやります。これは簡単なやつは鍋
みたいなもので砂金を拾うというか、水で洗うのが-番原始的なやつですが、
大規模なものになりますと、高圧のホースで泥を押し流しましてその中に入っ
ている砂金をあつめます。キャンバスみたいな布に水銀を塗り付けまして、そ
この上を泥水を流しますと、砂金が水銀に溶けましてそこへ吸い込まれる。そ
れから鍋の中にも水銀をちょっと入れておきまして、こうやるとそれに金が溶
ける。そうやって集めました金を含んだ水銀を、ガソリンバーナーで焼きます
と水銀は蒸発してあとに金が残ります。ですからだいたい1グラムの金を採る
のに2グラム近くの水銀を使うんだそうですけれども、1980年代に入ってアマ
ゾンで採れた金は、だいだい1,000トンぐらいと推定されています。これは公
式の統計でつかめるのは2割ぐらいであとはみんなやみですが、実際に金に関
係している人間は、だいたい1,000トンは採れているんじゃないかといいます
と、2,000トン近くの水銀がアマゾンに流れ込んだことになります。当然水俣
病の心配がなされたわけですけれども、まだ今のところ患者は見つかってない
というのがブラジル側の調査の結果なんですが、たまたまもう20年以上も昔の
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
話ですけれども、水銀が問題になったのがスウェーデン、フィンランドという
北欧諸国だったもんですから、水銀に関する研究というのは北欧が進んでいる
んですね、そこでブラジルの電力会社がヘルシンキの大学に調査を依頼しまし
て、大学院学生数名ぐらいが現地に1年間近く住み込んで調査した結果が漏れ
てきまして、それを見ますと髪の毛の中に200PPMくらい水銀が溜まった例が
ある、というんですね。これはもうどうみても水俣病がでてもおかしくない水
準でして、そういうふうな情報がリオで会議に漏れてきたもんですから、気に
なりましてアメリカにいったついでにヨーロッパへ渡りまして、ヘルシンキ大
学でその調査をやった教室の主任教授が昔からの親友だったもんですから聞い
てみたんですが、いや、別に秘密にしているわけじゃない、かなりデータも有
るが、ただなんといっても遠くてちょくちょく調べに行くわけにはいかないも
んだから予備調査のままになってる。そこから先は金がなくて進んでないとい
うことだったんですが、どうも水俣病一歩手前までいっていることは確かで、
ひょっとすると患者がでているかもしれない。これは当然のことですが原住民
あるいはそこに住んでいる貧困層の中に患者がでてくるもう片っ方で、金堀り
人夫というのもこれは食うや食わずなんですね、本当にからだひとつでやって
きて、鍋ひとつで金が何グラムか採れれば大儲けなんですけれども、それを売っ
た金では酒と女で使っちゃいまして結局もとの黙阿弥になります。本当にやっ
と生きているだけの金堀り人夫が環境を汚染して、またやっと生きているだけ
の原住民がそれで病気になるという構造がアマゾンで進行しているもんですか
ら、これはまあなんとかせにゃならない。しかし地球の裏側なもんで我々も打
つ手がなかった。
田割り込んで来る環境庁
幸いなことに東大の同僚で、中西準子さんが中心になって調査チームを組ん
でくれることになって、それで東大とか熊本大学、水俣病に詳しい熊本大学と
かが組んで研究計画を立てた。そうしましたらそこへ横から環境庁が乗り込ん
で来まして、そっくり似たような研究計画を何倍かの国家予算で立てて割り込
んで来た。これは帰ってからのことで1月になってそういう話を聞きまして、
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
どうしたもんだろうなと話になりました。悪い事じゃあないと思うよ。つまり
どうせお金のたっぷりある環境庁の計画なんてのは、本当に身をいれた我々の
仕事に比べれば机の上のいい加減なものにどうしてもなる。中西さんなんかの
は手作りというか、自分達で少しずつ金を集めてやるもんだから必死でやるこ
とになる。私達もよく今まで国の計画なんかと競争するというか立ち会う場合があったんですが、背水の陣で真面目にやる。それからもうひとつそういう競
争関係なんかがあると国の計画の方もいいかげんにやるわけにはいかなくなる。
少しは真面目になる。だからまあ腹立つけどこれでやったらどうという話になったんですが、日本からそういうわけで国が金をだした相当大規模な予算の調査
計画と、それから大学中心のあんまり金のない計画と二通りが今年からアマゾンの調査を始める事になります。どういうことになるのかが楽しみで、おそら
くこれは二つが競争するために少しはまともなことになるだろう。
曰本という国はいまそういう国でありまして、金はうなっているんですね。
あるところにはいくらでもある、どう使っていいかわからない、だからなんか
名目の立つような使い道があるとどんと乗つかってきます。援助だとかいうふ
うなことでどんと乗つかってくるんですが、それをうまく使いこなすような条
件がないもんですから結局無駄使いになる。あるいは変な使い方をされて迷惑が他のところに出る。インドのサルダル・サロバルダムなんかそうですね。ひとつの工事でお金を沢山くいますから、そこに住んでいる人間が迷惑するかど
うかなんてことお構いなしにダムをどんと造る計画が出来る。そうすると土建
屋はそれで儲かる、儲かればまた政治家にお金が還流するという曰本国内と全く同じ構造が世界中で起こっている。それは沖縄にいるとよく見えることです。つまり要りもしないダムやいろんな工事が次々沖縄でなされている。それでか
えって被害の方が出てくる。今まで珊瑚礁のところで波が砕けてどうというこ
とがなかったのをわざわざテトラポッドと直立した護岸をコンクリートで作っ
て、かえって塩害をこしらえるような事が沖縄では起こっていますが、そうい
うふうにして日本のお金というのはあちこちで環境を壊していく。全然被害も
何もなかったような小さな小川を三面張りにして水を溢れさせるとか、役人と士建屋と政治家が食うために環境を次々と壊しているというのが、沖縄の至る
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
所で見られますけれども、これがまあ世界中に今広がっているんだなというふ
うなことがよく解ります。
田現場で見たアメリカ大統領選挙
去年の留学計画の山になったのが、アメリカのフルブライトの短期プログラ
ムでして、これは丁度アメリカ大統領選挙を見物するために行ってたんですけ
れども、なるほどにぎやかなもんでありまして、アメリカはやっぱり4年に一
度ぐらいあれぐらいのお祭りをやらないと、ストレスが溜まってどっかで爆発
するから、息抜きに大統領選挙ってのはやっているんだなという実感がありま
す。そういう点では沖縄の知事選なんかも悪くはないんだろうと思いますね。
できるだけ派手にやって`息抜きにやるというのは悪いものではない。ただアメ
リカの選挙というのはよくまあ立候補する者がいるというぐらいに過酷な競争
でありまして、1年以上前から予備選挙で政策を訴えて、あいつは若い時に女
と浮気してたんじゃないカユとか、徴兵のがれのためにごまかしやったんじゃな
いかと力。、片っ端からあらを拾われてそれをまた何とか防戦して、とういうこ
との中でだんだん力が付いてくるのでありまして、まあやる方は大変だけれど
も、制度としちゃ悪くないなあというのが見た感じであります。
大学なんかでもやっぱり、俺は共和党支持だ、いや俺は民主党支持だ、ある
いはペローを支持するというふうな学生グループが、それぞれに自分の責任で
お祭りを用意して、候補者を呼んで一席ぶたして比べるということをやります
から、いい政治的訓練の機会にはなっているということと、もうひとつ今度の
選挙で意外だったのは、アメリカ人に聞きますと税金の話をしたら絶対当選し
ない。だから自分は税金をまけるということは言っても、税金をかけるという
ことは絶対に言っちゃあならんのだというのですね。税金を増やすって言った
ら絶対に当選しない。ところが今度の大統領選挙でペローはそれをはっきり言っ
たわけです。アメリカの財政赤字はここまできている、これを改善するには税
金を掛けるしかない。どうやって税金掛けるか、それはガソリンに税金を掛け
ると言ったんですね、アメリカでは自動車っていうのは生きるために絶対必要
なものでありまして、下駄が燃料食っているようなもんですからガソリンに税
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
金を掛けると大変な大衆課税になります。それでもこうやらなきゃアメリカは
立ち直れないとこうペローは言ったら、そしたら皆結構十何パーセントが支持
したんですね。ひょっとするとペローが勝つかもしれんというぐらいのところ
まで彼が追い上げた。途中で-度降りるっていうことがなかったらひょっとし
たら2位にはなっていたんじゃないか、万一1位になったかもしれないという
ぐらいの勢いがあった。これはアメリカのこれまでの大統領選挙の中では考え
られなかったことだというのをアメリカの友人が言ってたんですね、税金を上
げると言ってそれが支持を集めたっていうのは初めてだ。それだけつまりアメ
リカ人も真剣に財政赤字を考えた部分がある。もう片方で選挙ですからなんで
も勝てそうな事は使えるのでありまして、例えばオレゴン州とかワシントン州
で原生林を切って、これはだいたい曰本に売って儲けようという話なんですが、
そこに絶滅に瀕したフクロウがいるから切るのはまてという保護運動の主張と、
それからいやそんなフクロウなんかよりは労働者の職のほうが大事だと主張す
る、これは共和党の副大統領のクエールっていう男が先頭に立って、日本でい
うとまあ名前を上げたらちょっと気の毒ではありますけれども、イトヤマエイ
タロウとかハマダコウイチというタイプの政治家ですね。ようするに保守派で、
しかも言うことが全然、なんていうかどあほうなところが売り物で票を集めて
いるという男です。だからこそブッシュは副大統領にそういうところの票を集
めるためにかついだんですが実際裏目にでて、だいたいクエールのおかげで票
は減ったという評判だったんですけれども、このクエールってのはそういう大
企業の利益を代表して、そして一切企業の規制はやるなと、企業の規制をやる
と国際的な競争力は落ちる、だから企業保護の政策で国際的な競争力をつけて、
日本企業なんかを駆逐するようにやっていこうという政策をクエールは代表し
ていたわけですけれども、環境の規制なんかも一切やるなっていう主張ですね。
こんなのが副大統領ってのは、大統領に事故があったら大統領になるわけです
から、よく民主党支持の連中が冗談に言っていたのが、クエールのおかげでみ
なプッシュに投票しない。万一ブッシュに事故があってクエールが大統領になっ
たらアメリカはどこ行くか解らないから、あいつが副大統領をやっているおか
げで俺達は有利なんだという悪い冗談を言ってたぐらいに保守派の言い分を代
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
表していた男ですが、それが先頭に立ってフクロウか仕事かというふうなキャ
ンペーンをやるんですね。こういう次元の低いのが票を集める面もある、アメ
リカってのは非常にこう幅広い国でありまして、ふところも大きいからばかな
事も起こるわけです。
囮フラストレーションと直接行動
その一方で、しかし大企業中心の共和党政権が12年も続きますと、そろそろ
やっぱりいろんなところにフラストレーションが溜まってきます。それで環境
保護運動なんかではグリーンピースみたいな合法的な運動なんかまどろっこく
てやってられないってやつが出てきまして、それはもっと非合法でもいいから
直接効果のある行動でいこうってわけですね。今から十何年ぐらい前にエドワー
ド・アベイ、もう亡くなった小説家がモンキーレンチギャングって小説を書い
た。これはベトナム帰りで世の中からはみ出しちゃったマリーン(海兵隊)と
か、非常に腕のたつ外科のお医者さんなんだけれども、夜中に観光地の立て看
板に火を点けて燃やすのが趣味だっていう人とか、世をすねた人間が4人集ま
りまして、それで環境破壊をやるような開発行為を片っ端からぶつ壊して歩く。
ダムの建設現場にあるブルトーザーのオイルを抜いて替わりに糖蜜を詰めてお
くとか、ありとあらゆるいたずらをやるんですね。工事用の鉄道を爆破すると
か絶対ばれないようにやる、小説ですけど大変うけましてあちこちにモンキー
レンチギャングってやつがでた。そういうグループがまあ主としてアメリカで
も南部とか西部とか辺境の地帯で活躍しまして、そのうちに自分達の新聞を出
して、アースファースト/っていう新聞なんですけれども、そこに書いてある
のは、我々はネットワークは組まない、ネットワークはFBIとか警察のやつ
が入ってくるから危険である、そういうものは一切組まないかわりに新聞の投
書欄で連絡を取ろう、こういうのをやってみたら旨くいったっていうのを皆よ
く気をつけて読んでてくれってわけですね。それで流行ったのは、例えば森林
の伐採計画がありますと五寸釘を片っ端から打ち込む、そうしますとチェーン
ソーがかからなくなるんです。それから切った材木を製材しようと思うと帯鋸
が切れちゃう、五寸釘を打ってというのは曰本でも昔から人を呪うのにあった
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
んですけども、丑三つ時に藁人形を打ち込むってのはありましたけども、それ
を組織的に大々的にやる。そうしますと林業の儲けなんてのは薄いもんですか
ら、あそこの木には釘が入っているぞという噂がたつともう初めから切ったら
損だということで手を引く。だから森林は守れる。実際にこれはオビノコが切
れてけがしたやつなんかも出て批判くったんですけれども、かなり効果があっ
たらしいです。
それからこれは陸上の話ですが、海の上では曰本の漁船が中心にやっている
流し網ってのがありまして、これは6.70キロぐらいの長い網を公海で使って魚
を捕るやつで、無差別的に魚でもイルカでも引っ掛かっちゃう、公海ですが、
流し網は国際的にも批判されて禁止されたんですけれども、それでもやるやつ
はいる。船を雇いまして流し網をやっている日本漁船を探しちゃ体当たりをし
て穴を空けて沈んだって構われえってわけです。自業自得だってというので体
当たり作戦を展開したシーシェファードというグループがありまして、そこが
撮ったビデオで本当に曰本漁船とぶつかる、そうすると穴が空いて曰本漁船の
方もまた防戦して石投げたりなんかをやるんですけれども、これをちゃんとビ
デオに撮っていまして、NBCのネットワークでよく聴視者のビデオのコンテ
ストがありまして、そういうのを写してこのとおり俺達はやっているんだ、日
本漁船をこらしめる活動をやっているから資金を集めると、堂々と資金を集め
てそういう直接行動をやるグループもでてきました。やっぱりそういう直接行
動派というのがアメリカで-部に出てきて相当ある意味じゃ荒っぽい事もあえ
てするようになった。これはひょっとすると曰本にもある程度波及するかもし
れない。今までいろいろ真面目に運動やってたけど、どうも効果があんまりな
いという中で少々乱暴な事をやってでも食い止めるというふうな議論もあった
んですけれども、アメリカの動きを見ているとひょっとするとこれは日本に波
及するかもしれないなという気がしてます。私自身はあんまり賛成できないの
ですけれども、まあ客観的な状況から言ってアメリカで起こる事っていうのは
曰本でもだんだん起こるようになるもんですから、直接行動の議論は出てくる
んじゃなかろうかと予想してます。
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囮アメリカに遅れた反省
こうして1年近くいろいろ回って来ての結論なんですけれども、しまったと
いいますか、この10年位立ち遅れた面がアメリカと比べてみるとありまして、
1970年ごろにちょうど私達が東大で自主講座を始めて、公害問題ではこういう
勉強をしなきゃならないという議論を始めたころ、アメリカではだいたい同じ
ような議論をやっていたんですが、曰本ではいくつかの国立大学、だいたい十
幾つぐらいの国立大学で環境科学科とか環境工学科とかいうふうなものを作っ
た。作ったんですが石油危機の後研究費がそういう事には付かなくなっちゃい
ますと皆もうちょっと儲かるような研究テーマに先生方鞍替えしまして、それ
で地味な仕事はやらなくなっちゃった。我々自主講座で自腹切ってやっていた
のがそういう仕事ですけれども、何と言っても制度化されていないもんだから、
進みが遅い。特になぜ公害はいけないか、汚したらいかんか、なぜ環境は守ら
なきゃなんないか、そういう思想的な面までとても手が回らなかったというの
が正直なところでありまして、我々まあ火消しに追われて駆け回っているので、
そういう理屈のところまでは本当に手が回らなかった。これは反省としてござ
います。それは本当は大学のような制度の中で用意するものだったんですが、
用意しなかったもんですから。
さて80年代の末になって地球環境の問題が浮かび上がって来たときに、金に
なるもんですから、またわあつと大学の先生方が集まって来て研究計画を立て
るんですけれども、肝心のなんでそんな事をやるか、なんのために必要かの思
想がないんですね。哲学なき思想なき技術の議論なんです。日本はいつもこの
思想なき技術の議論が続いてくる。これには皮肉な見方もあるんです。日本人
には思想がないからここまで経済発展できたんで、途中で考えたりなんかして
たらとてもこんな具合にいかなかったでしょうという悪口もあるんですね。思
想も節操もなく儲かる事ばかり飛び付いてるから儲かるんであって、真面目に
考えていたらとてもここまで臆面もなく破廉恥な事はできねえだろう、という
悪口もある。ヨーロッパの連中なんかはよくそう言うんですけども、半分当たっ
ている面はあります。ですが環境問題なんかちょっと全然無思想で、技術だけ
で解けるものではない。その点で私たちが日本で、現に水俣病で代表されるよ
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うな局地の産業公害問題に格闘してきた、そこへ急に地球規模の環境、こっち
の方が大事だという議論が出てたもんですからちょっとまごついたんですね。
竹下さんやドイツのコール首相とかサッチャー首相とか、そういう保守派のブッ
シュもそうですけども、政治家が急に地球環境と言い出した。地球環境が大事
だから産業公害なんかもう解決してかまわなくてよい、というのは曰本の言い
分なんですが、どうもこれはおかしいなというんでヨーロッパの連中やアメリ
カの連中と議論してみたら、古典的な産業公害が局地的に酷くなって、そのう
ちに国境を越えて地域というか広域の公害が出てきて、その結果地球環境まで
おかしくなった。だから局地も地球も両方やらなきゃいかん、もちろん中間の
国境を越えた広域の問題、ヨーロッパやアメリカではこれは大変だったという
んですね。
田中間項をきれいに忘れていた
確かに思い当たる節があるのは1980年代の初めぐらいにアメリカとカナダの
問でこの議論があったわけです。アメリカが出した煙がカナダへ落ちて、カナ
ダの森林が枯れ、酸性の雨が降って湖水が死の海になる、アメリカはどこから
出した煙がどこへ落ちたか解らんのに手の打ちようがないじゃないか、カナダ
のここに落ちた煙はアメリカのここから出たやつだとはっきりしていたら何と
かします。だけどそういう科学的証拠がないんだから、アメリカは何も手を打
つ必要がない。これがレーガン政権の初期のアメリカの言い分だったんですね。
その言い分を先頭に立って非常に派手にぶちあげたのがアン・ゴーサチってい
う美人の環境庁長官で、カナダがこれにてこずりまして、結局まとまりかけた
規制の話は壊れちゃった。ところがその直後、このゴーサチのグループの環境
庁の役人っていうのは皆企業から賄賂をもらっていたり、企業べったりの政策
を採っていたということが議会で問題になりまして、全部首になった。有名な
言葉ですが、女だからって悪い事をしない訳じゃない、男と同じように女だっ
て政治家として悪い事もできることがやっと解ったろうという非常に皮肉な言
い分をアメリカの上院議員がしてたことがある。女性の政治家は悪い事はしな
いというのはそれは嘘だ、美女だって美男と同じくらい悪い事をする、ゴーサ
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チを見ろ、というふうなのはその頃よくいわれた言葉ですけれども、それぐらいアメリカが無茶な議論をやって、カナダの苦情を潰した。
ところが皮肉なものでありまして、その頃からアメリカの酸性雨がだんだん酷くなりまして、今度はニューヨークの北の方にあります、ニューヨークの金持ちが行く別荘地帯の湖がアディロンダック地方にありますけれども、そこが洞れてきたというか、森も枯れる、湖も死ぬということが目立ってきまして、これは明らかにオハイオだとかニュージャージーだとかニューヨークに割合近いところの煙が落ちてくる、それで酸性雨の議論が改めて出てきたのは84.5年ごろです。地域あるいは広域の公害というものが改めてアメリカでも議論されてきて、88年になって今度は炭酸ガスなどを含めた地球全体の温暖化というのが正面に打ち出されてきた。
ですから、こういう流れがあるのが、日本ではここんところが抜けちゃうんですね、島国なんで地域広域の環境の悪化というのが実感として感じられない。そこで曰本の政治家は、こちらだけ地球環境の問題を局地の問題と切り離して議論するということが現に起こっているし、我々もかなりこれにからめ取られている傾向はある。もう一方で、しかし環境問題について竹下さんまで含めて広い範囲の人が関心を持ってくれるというのはいいことですから、決して悪い事ではないんで、そういう時にこういう繋りははっきり解るように提示し、こちらを解かなければこちらも解けないのだということをはっきりさせないといけない。そこのところ、我々いままでぬかったなというか遅れたなという反省があります。
これは特に東京あたりではそういう焦りがある部分にありまして、さっき言った直接行動なんかに短絡的に行く心配がないとは言えない。
囮矢作川の成功
もう片方で、しかし沖縄へ戻って来ますと、沖縄で最大の公害問題というか環境問題は、これはやっぱり赤土と黒い水なんですね。これはどっちも止められるものを無知であるために続けて来ている。なにもしなかったわけではない
のですけれども多少私も手を打ちましたが、例えば大和でもう20年間くらい前
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からこの問題を取り上げて、流域の中では絶対士を流さないようにしよう、あ
るいは汚水を流さないようにしようという運動を漁民と農民が組んでやってき
た矢作111というのがあります。ここは最近では30ミリぐらいの雨が降っても川
は濁らないというぐらいに流域全体についての工事も計画的にやって士を流さ
ないようにしている。全国的にもこれはかなり知られてきまして、矢作川の流
域で工事ができた土建屋ならば、よそでも一目置かれるっていうか矢作川なみ
の企画でやってくれと、そうすれば多少金かかっても工事はやらせますという
ところが出て来たっていうわけですね。我々の仲間では矢作川っていうのはそ
ういう訳でよく知られてるもんですから、その運動の中心になっただいたい私
と同年配ぐらいの事務局長さんというのが頑固じいさんでして、流域どこでで
も変な水流しているとそこへ飛んでって文句を言う、止めるまで文句を言う、
それだけですね、法律的な根拠はなになんだって言ってもそれは矢作川の申し
合わせだ、ということで、ともかく現地へ出掛けていって文句を言うしか手が
ない。それを25年間やってきたらもう流れなくなったというので、この人に沖
縄県へ行って一度話してくれないかと頼んだ。それから県の方にも矢作川では
もうちゃんとこんな問題解決しているんだから-度呼んで話を聴いたらどうだ
と言ったんですね、そしたら丁度私がいない時に県の環境衛生部がシンポジュー
ムかなんかやった。その後その事務局長に会って「どうも有り難うございます。
どうでした」っていったら「あんまりピンとこれえ話だったねえ、なんか一緒
にやった大学の先生が全然関係のない話して」「琉大の教授じゃないの」って
いったら、「そういえば琉大の教授で工学部の先生っていったねえ」「ああそれ
だとあの人だよ」という話になったわけですけれどもね。全然関係のないある
いはこれまで先頭に立って白保の珊瑚礁なんかを目の敵にして殺してきた人が、
また県のシンポジュームで出てきて赤土対策なんかをするようなことでは、い
くらなんでも役には立たれえだろうなというのが帰って来ての感想なんですね。
ですから、まあ赤土を出さないように工事するなんていうのはすでにもう出
来てることだし、沖縄の中でも例えば嵐山のゴルフ場を造る時に下流に簡易水
道の水源がある所があって、そこだけは絶対に流すなというふうに名護市の方
が命令したら、流さずにすんだ。2ホール分だけ多少手順を工夫して工事をし
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
たら流さずにすんだ。そのために掛かった金が1億円、だからまあl8ホール全
部でやるとしても10億円までいかないっていうんですね。ゴルフ場の一つの工
事規模ってのはだいたい7.80億円ですから10%そこそこ上積みすれば士は流さ
ずに済むわけです。それから矢作川の経験でも、地形によりますけれども10%
から20%ぐらいよけいに工事費が掛かる場合があるが、費用よりもむしろ計画
段階の問題である。計画をきちんとやって手順を踏めば士は流れないのである
ということを経験として言っているのですが、沖縄の場合には手間を惜しみ乱
暴をすることによって赤土を流しちゃっているわけです。黒い水の場合も4分
の3は畜舎廃水で、だいたい1頭1万円ぐらいの費用を掛ければ止められるも
んなんですね、それを手間を借しんで規制を掛けないために真っ黒な水を流し
ている。つまり沖縄ではこれは手抜きと無知のために公害を起こしているんで
す。手段がないのではないのですね、そのことを私はくりかえし県庁の役人に
も申し上げているんですが、彼等は聴こうとしない。
囮沖縄革新の停滞
もう片方で、例えば吉嶺全二さんが以前から指摘しておられるように、沖縄
に合わない工事を持って来て金をばら蒔いて、いわば積極的に自然を壊してい
る。そういうことはしたくないと中央官庁は言ってるんです。お金は出します。
被害は起こらないようにいたします。そういってるのに、沖縄県はいやあそん
な事しなくていいんですよ、とこう言っているわけですね。だから沖縄で環境
問題、公害問題を掘り下げていくとあらかた県庁にぶつかる。県土保全条例が
ありますからちゃんと対策は立ててますと言うから、罰則掛けた例ありますかっ
て言うと、いやそんなこと一度もありません、ってわけですね。それから県土
保全条例は国の工事には適用しないっていうんですが、本当ですかって言うと
「ああ適用しません、国の工事には問題はないはずですから」。沖縄ではともか
く公害問題を手繰っていくと全部県庁にぶつかる。県庁が要するに公害を引き
起こしているっていうことになる。その状態に対して丁度ラテンアメリカの左
翼と全く同じような言い分が成り立つわけですね。公害問題ってのは資本主義
の害悪であるから、我々が権力をとれば全部解決するんだ。勉強する必要ない、
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
対策立てる必要もない。じゃあ権力取ったらどうなるんだとみると、沖縄県で
は革新政権が成り立っているではないか。何にも変わらない。これは丁度私は
20年前に経験したことで、たまたま沖縄の事は20年前から付き合ってたんで身
にしみるんですけれども、金武湾を守る会が金武湾の埋め立てに対して、こん
な事をしたら海が死ぬぞといった時に沖縄革新は何て言ったか、「せっかく取っ
た革新県政にけちをつけるとは何ごとだ」とこうきた訳ですね。何をしたか、
結局失点を恐れて何もしなかった。だからどうも私は曰本の革新勢力っていう
か左翼は信じられなくなった訳です。彼等は自分達がやればなんでも旨くいく
と言いながら何にもしないし出来ない。出来ないはずです、勉強してないです
から、社会主義協会はソ連には公害はない、宇井先生はソ連を誹誇していると
こう言ったわけですね。たまたまこれは東大の後輩、応用化学の後輩の書記で
して工学部を出てる男なんですね、で、「どうしてそう言えるんだ」っていっ
たら、イズベスチア(ソ連最大の新聞)は公害の記事はありません。そうなりや
曰本だってサンケイ新聞読みや公害の記事ないけどなあ、政府広報で公害の事
書いてないじゃないか、いやイズベスチアは真実です、とこう言うんですね。
そういうのが公害担当の書記をやってるような政党ですから、社会党が公害の
勉強するはずなんかないんです。ですから私は本土革新には全く期待を掛けて
いない。
ただ沖縄の場合には社会大衆党という本土にない政党がありまして、ここは
真似のしょうがないですから、中央からの指令を待つつたって中央がないんで
すから指令は来ないので、それで自分の頭で考えて何かやる可能性があるとす
れば、そこだけはあるだろうと、若干あと期待を掛けているのが沖縄人民党の
伝統がどこまで日本共産党の中で生きているのか、日本共産党もこれも大変困
りますのが、中央で政策を決めちまいますと地方までそれが行き渡っちゃって
間違ってた時に困るんですね。それが今、一番困っているのが下水道です。下
水道は近代技術の産物である。近代技術っていうのは規模を大きくすればする
ほど安上がりで旨くいくんだ。だから下水道も規模が大きいほうがいいという
ので東京で流域下水道に賛成しちゃったもんですから、曰本全国どこ行っても
流域下水道が旨くいかなくても共産党は計画を支持するってことになる。これ
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
も気の毒な話でありまして、自民党や社会党の一部あたりまでがそういう巨大
計画を支持して、そして士建屋から金が来るってのはわかるんです。だけど共
産党には士建屋の政治献金ってのはどうも来そうにないんですね。来そうもな
いのに士建屋の儲かるような計画を一生懸命支持するってのはどういう訳なの
か私には解らない。解らないのですが一度理論でそう中央で信じてしまうと方
針は変えられないということになる。そこで沖縄辺りでもやはり下水道計画は
どんどん大きいものが造られて、そして革新政党が皆それを指示するというこ
とになる。もちろん保守は大喜びです。規模が大きくなればなるほど自分の懐
へ入ってくるんですから、これはもうばん万歳です。金にならない共産党まで
支持してくれるんですから、こんな有り難い事はないんですね。その結果とし
て沖縄の場合はおそらくあと10年もすれば、1千億の桁の借金を背負うことに
なる。下水道を毎年せいぜい100億ぐらいの予算が付くからということでせつ
せかせつせか造っている。こういうことが現に起こっている。だから何とかし
てそこを変えなきゃなんない。
囮メディアの可能性
そこを突きぬける道はどこにあるだろうかずうっと6年間考えてたんですが、
一つは小なりとはいえ沖縄大学できちんとした教育をやって事例を出していく
ことはあるだろう。もう一つは反戦基地問題では大変大きな働きをした沖縄の
マスメディアがその実績をこういう環境問題にもやっぱり広げて来ることは期
待できるのではなかろうか。これはジャーナリズム講座なんかでも話したこと
ですけれども、基地問題あるいは戦争の問題なんかですと読む方も書く方もだ
いたい枠組みは解ってますから、米軍基地の誰それが何と言ったとか、防衛施
設庁のお偉いさんが何と言ったとかいうふうなことをそのまま報道すれば、そ
れはそれで全体の枠組みの中でどういう意味があるかってのは書く方も読む方
も解ってて、ピンとくるわけですね。ですから、まあ周辺取材をしなくても、
いわいる客観報道だけやってれば大体間に合うんですが、環境問題をはじめと
する他の社会問題っていうのはそうはいかない。例えば県が今度新しく環境問
題を重視して条例を用意しておりますというふうなことを書けば、その事をそ
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
のまま書けば県の提燈持ち記事になってしまう。-歩踏み込んで調べなければ、
その条例は県の工事には適用されなかったなんていうことは解らないわけです。
県士保全条例がありますって書けばですね、あるいは海浜保全条例がありますっ
て書けばそれはそれで何かいい事をやってるように受けとられてしまう。だけ
どそれは一歩の踏み込みが足らないから、客観報道っていうのは実は県の提燈
持ち記事にしかならない。裏を取るという習`慣がやっぱり必要なんですね。
たまたま1990年に、私に国連のグローバル500賞というのが来るということ
になった。共同通信の配信があったもんですからタイムスも新報もそのまま乗
せちゃったわけです。私に裏を取る事も忘れちゃった。もし私の所に問い合わ
せがあればですね、政府連合の国連が私に賞をくれるなんてありえないよ、曰
本政府が必ず文句を言って濱すよと返事をしたはずですが、それを裏を取らな
いで記事になっちゃいましたから、後からおめでとうございますって言う。絶
対そうはなりませんよ、曰本政府が絶対潰しますよと言ったら案の定潰したわ
けです。この大学でもどうしてそこまで解るんですかというから、過去にそう
いう事がいくつかありましてなというふうな話をしたんですけれども、裏を取っ
てればそういう誤報はなくて済んだはずです。さすがに次の年は湾岸戦争で日
本政府も忙しくて、それで賞を潰す暇がなかったもんですから私はグローバル
500の賞を貰いましたけれども、年によってそういう状況は変わりますからい
つも同じではないのですが、しかし共同配信があったからといって県内の事だっ
たら本人の裏を取るぐらいはやっぱりやらなきゃいかんと思いますね。これは
新聞も当然やらなきゃなんない事です。それを共同配信があるから紙面に乗せ
ちゃうというふうな調子では客観報道にもならない。似たような問題が確か昨
年あたりタイムスにもあったように思います。滋賀県が調査をしたら廃油石鹸
はBODが高くて水を汚す効果があるので望ましくないという結論が出ましたっ
てのは、これも共同配信がそのまま載っちゃったんですね。おかげで僕らの所
へ問い合わせがいっぱい来まして、手作り石鹸ってのは害があるそうですが本
当ですかと、こういっぱい来るのはなぜかと聞くとタイムスに載ってましたと
いう話になるんですね。これは配信を受けた時に一度、なぜ環境に悪いという
結果が出たのかということを滋賀県に問い合わせてくれたらそんな混乱はなく
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
てすんだんです。実際にこれは半分誤解でして、ちょっと調べればその誤解の
部分は解けたはずです。そういう裏を取る努力というものがまだ沖縄のマスメ
ディアでは一般化していない。そのために客観報道はしばしば提燈持ち報道に
なるということをここで指摘しておきます。これはしかし三大紙ぐらいになり
ますと常識でありまして、裏を取らない記者がいたらそれはデスクから叱られ
ます。なんでそれだけの手間省くんだ、ちゃんと裏を取って来い、本人の証言
を取って来いというふうに言われるのは常識です。ですから別に私はそんな無
理な事を要求しているのではなくて、常識の線まではやってくださいというこ
とをここで申し上げているのですが、そういうことによってもっとこう行政、
特に県レベルの行政に対するマスメディアの姿勢っていうのは厳しくなるはず
ですね。本当に言ってる通りなんですか、どういう根拠がありますか、という
のは厳しくなるはずです。そのことによって行政はもう少しメディアというも
のを怖がっていくんではないか、今のところでは記者クラブで発表したらそれ
そのまま報道してくれますから、これはもう手先みたいなもんです。記者クラ
ブ制度というのはどれぐらい曰本のマスメディアを害しているかというのは、
いろんな機会に指摘されていることですし、公害問題でもそれは非常に優れた
証言というか事実に基づいた綺麗な証言がありまして、PCBの問題で報道さ
れる側に立った藤原邦達さんの『PCBの脅威』という本がありまして、これ
は実に面白い本ですが、朝日の記者が足で歩いて自分のところに来てPCBの
報道をしたら、協定破りだって言うんで京都市の記者クラブに引き摺ってかれ
たっていうんですね。藤原さんは京都市の研究所の職員なもんですから、それ
でクラブに入る前にちらっと見たら花札がおいてある。こんな所で花札で遊ん
でる暇があるんだったら、クラブを解散して全部自分の足で調べたらどうだと
言いたかったけれども、そういうと大騒動になるから頭を下げて帰って来たっ
て書いてあって大笑いしたんですけれども、現在のマスコミというのはそうい
うレベルで止まっていたのでは、私はマスコミの名に値しないのではないかと
感じます。そこに沖縄の政治状況を変える重大なカギの一つがあるのではない
のか、今のような県政の状況で大田さんがやってる事だったら足を引っ張っちゃ
いけないという言い方を革新勢力なるものがやっているならば、これは保守よ
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
りも質が悪い。保守は少なくとも批判を許しますというか、こっちが文句を言っ
ても耳を傾けます。批判を許さなくてしかも質の低い政治をやっている革新勢
力なんてものはいらない、有害であるというふうに長年の経験からやっぱり言
わざるを得ないですね。ちょっと厳しすぎるかもしれません。友人もいますし、
いい人もいることを承知で言わざるを得ない。そういうわけで手掛りとしては
私は二つ待っています。
囮アジアの接点
一つは沖縄大学の中での教育実践を通して次の世代をつくっていくことが-
つの場になる。もう一つはマスメディアに対してはっきり批判をしながらその
姿勢を変えて行くということで、沖縄の現状はかなり変わるのではないか、そ
うしなければまた曰本てのは国際的に今後非常に叩かれる場所にあって注目さ
れてますね、その中で沖縄というのは曰本とは違うのです。外から見てますと
沖縄は曰本の-番はじっこに入っているんですが曰本とは違うのです。どこが
違うかと言いますと、東北アジアというのはだいたい民族国家の歴史を持って
きているのです。中国にしても朝鮮にしても日本にしましても、歴史の中で民
族国家を形成しているんですね。東南アジアというのは民族国家を形成した歴
史は極めて短い、せいぜいタイぐらいです。タイも純粋な民族国家ではありま
せん、むしろ部族社会なんですね。東南アジアというのは基本的に部族社会な
んですが、それが沖縄は丁度その接点になる。中国も南中国というのは部族社
会で民族国家を形成した時期ってのは短いんです。揚子江以北の東北アジアっ
てのはだいたいかなり長い歴史を民族国家として持っている。そこのところが
東南アジアと東北アジアははっきり違うんですね、丁度その接点に沖縄がある。
逆に、ですから民族国家っていうのは非常に窮屈なもんでありまして、歴史的
にも長い間形成されていて枠組みは実際窮屈なんですけど、沖縄はそれに縛ら
れなくてすむ。自分で自分の運命が決められる強みがありまして、しかも東南
アジアのはしっことしてこれから例えば今の環境問題でも、士と養分を逃がさ
ないでどうやってここで農業もやっていくかというふうな課題に対しては沖縄
しか答えが出せないのです。大和は答えが出せないんですね。大和にこんなふ
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
うな毎年台風がやって来て、しかも木を切ったら赤土が流れるというふうな条
件はないのです。だから赤土が流れないような農業をやるとしたら沖縄しかな
いのですね。沖縄が大和に手本を求めるということは難しいのです。この場合
はたまたま矢作川という手本が使えるんですけど、本来は沖縄は自分の答えを
自分で出さなければならないんですね。世界中歩いて解った事は、皆土を大事
にしている、養分を大事にしている、それから森林を大事にしているというこ
とです。ところが沖縄は士は流す、養分は流す、木は切るというところです。
山原の木はじゃんじゃん切って何に使っているかというと、パルプの材料のチッ
プです。一番安いどこのどんなくずの木でも使えるチップです。これがもし山
野のイタジイというのが非常に貴重な木でですね、例えばコクタン、シタン、
ビャクダンというふうな宝物のような木だから切って売るってんだったらこれ
は話は別ですけど、そうでなくて一番くずの使い方をするために切って売って
いるんです。なぜって聞くと、林業をやっている人達の職を保障しなきゃなら
ないからだと言うんですが、何人ぐらいいますかっていうと100人ぐらいだっ
て言うんですね、そうすると全部国立公園のレンジャーで国家公務員をお願い
したってできない数ではないです。これはかなり思いきった転換のしかたです
けども、やりようはあるんですね、やりようはあるのにやらない。そして惰性
で一番ばかばかしいやり方をやってきているというのが沖縄のやりかたです。
あるいはこの小さな島で将来借金を山ほど背負うような下水道の工事をせつせ
せっせと土建屋を食わせるためにやってるんですね。その土建屋を食わして儲
かるのは保守の政治家であるにもかかわらず、革新の政治家がその計画を支持
しているという状況です。だからちょっと悪い夢か何か見ているような感じが
しますね。だんだん解ってきますと、どうしてこんな事が起こるんだろうか、
どうしてこんな変な事に今まで気が付かなかったんだろうかというのが沖縄の
現実です。一回りして沖縄に戻ってくると、大変厳しい現実にぶつかることに
なるんですけれども、1年間ずっと歩いて来てやっぱりそれは念頭から離れな
かったですね。それでどこでそれを変えるかということになりますと、やはり
政治の場面で変えなければなるまい。知事なんてのは骨折れるからやめたほう
がいいですよと大田先生に申し上げた本人が私なんですけれども、頑張ってやつ
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
ておられるのにそれを支えている革新っていうのは何をしているかというと、
この2年間私の見ているかぎりでは何にも勉強してなかったように思うんです
ね。これで果たしてあと2年また勉強しないでやっていって次の政権を任せる
ことはできるか、おそらくそれはできないのではなかろうか、特に本土の左翼
が壊滅状態にありますから、社会党にしても共産党にしても今度選挙をやった
ら壊滅状態になるというのはほぼ皆中にいる人間も感じているわけです。その
時に大和の力を借りよう、なんか向こうから来て助けてくれるという見込みは
絶対ないですね。どうしてもこの島の中で自分で答えを出さなければならない
が、さてどうしますかと言うのが私の問いになります。
だいぶ思ったより長くなってしまったんですが、これで一区切りつけまして
皆様からのご質問あるいはご意見があればお答えしたいと思います。ご静聴あ
りがとうございました。
【質問】
先程、公共下水道の件についてのお話がございましたが、この下水道施設と
いうのは人口が増え都市化するとこれは必要な施設だと思うんですが、これを
造らないというわけにはいかないんじゃないでしょうか。そのへんにちょっと
疑問を感じたんでお伺いします。
【答え】
確かに下水道はこういうふうに町が大きくなっちゃうと造らざるを得ないと
いうか、造らないと衛生面で町が極めて居心地悪くなる。じゃあまあどういう
ものを造るかということになると、今の建設省から認可を受けて造る下水道と
いうのは、まず管を埋めて広い区域の水を集めて低い所で下水処理場に持って
きてそこで処理をして流すというので、細かい規定があってそれに従わないと
補助金は付きませんということになっている。沖縄の場合にはしかも高率補助
ですから見掛け上は地元負担は少なくて済むように見えるんですが、実際には
借金で造っている、起債で造っているんですね。これはお役人も政治家も借金
が手柄みたいな空気になっているんですが、おかしな話です。彼等が借金する
んじゃないんです。皆さんがするんです。皆さんの子孫が払うんです。それが
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
さっき言ったようにすぐに10年もすれば1千億ぐらいになりますよという桁の
金なんですね。じゃあそんなに金を掛けないで造れるかというと、造る方法は
幾らもあるんです。規模を小さくするとか構造を簡単にするとかいろいろある
んですね、そうしますと建設省は初め文句を言います。建設省の役人というの
もかなりピンからキリまでありますから、キリのほうはこれは規定にここのと
ころで違っているから補助金付けられないとかなんとか文句を言うやつがあり
ます。ピンの方はもう少し頭が良くてですね、なんか下の方から旨いものを持っ
てきたら自分の手柄にしようという奴がいます。何かいいアイディアはないで
すかと募集しているんですね、こうやったら安くなるんじゃないですか、とい
うことになると自分で考えたような顔をして、それで予算を付けるという奴も
いる。そこの見分けが下からだとやりにくいんですが、しかしやり様はありま
す。なるべく頭のいい奴と相談して杓子定規の石頭は敬遠するというふうなこ
とをすれば、かなりそこで造れる物の幅がでてくるんですね、今の様な規模の
大きい金の掛かる維持費も掛かるようなものはなるべく止めて、もっと構造の
柔らかいものを造る。
一例を申しますと、私は土木屋で、琉大の先生で私を土木屋でないと言った
人がいましたが、当然土木の大学院を出ているんです。土木屋なんですが、私
は鉄筋コンクリートを使うのは嫌いになってきました。だんだんに士と木だけ
で物を造るようになってきた。それはですね、土と木だけですと後で直す時に
廃棄物が出なくて広げたり縮めたり自由にできるんですが、鉄筋コンクリート
で物を造りますと必ず廃棄物になるんですね、ガラになる。途中で計画を修正
しなきゃならないのがしょっちゅうあるもんですから、なるべく鉄筋コンクリー
トは使わないで土と木だけで物を造るようになってきた。鉄筋コンクリートを
造る事は進歩でもなんでもなくて、むしろ途中で計画を変えられるような柔ら
かい材料を使う方が進歩なんですが、そこらへん建設省の役人に話をすると頭
のいい奴は解るんです。頭の悪いのは駄目ですね、鉄筋コンクリート以外は構
造物じゃないと思っていますから、だから永久構造物だから鉄筋コンクリート
じゃなきや駄目だって言んですけどね。むしろ満濃の池なんてのはあれは千何
百年もっていますね、四国に弘法大師が造った満濃の池って大きな溜池がある
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
んですが、あれは鉄筋コンクリートじゃないんです。士なんです。あのころ鉄
筋コンクリートはないんです。かえって鉄筋コンクリートで造ったこういう建
物、永久建築物に見えますけど、だいたい25年か30年すると、ぽろぽろになる
んです。永久建築じゃないんです。そういうふうなことを少しずつ工夫しなが
ら変えてきますと今のその計画は随分かわってきて、例えば値段が半分になる
とか3分の1になるとかいうふうな事が起こるんですね。それが今の県庁の計
画の進め方ではできない。コンサルタントが持ってきた図面を読む力もなくて
そのまま建設省へ持ってって予算を付けてもらって、また業者へ渡して、全然
自分の頭で考えないで月給もらっている水準ですからこれは無理もないんです。
薩摩の琉球入り以来、琉球王府ってのは決断がないことで有名で、琉球処分
の時は更にどうしようもなくって、あれあれという間に処分されちゃってです
ね、後は植民地政府、軍政府、民政府ですから、しょうがないと言えばしょう
がないんですが、もうそろそろ自分の頭で考えないとやっていけないんじゃな
いか。下水道について言えば、-通りじゃなくて幾通りも造り方があって、そ
の中でなるべくちゃんと動いて金が掛からなくて、後になってまずかったら変
えられるようなものを造る、それが私が提案しているものですね。そうすると
実は半分か3分の1でできる。それが今一番お金が掛かって一番難しいものを
造っている。特に処理場なんかですと、掛けなくてもいい所へ金を掛けて機械
を増やしていくものですから故障の機会が増える、それにコンピュータをくつ
付けたりなんかすると益々解んなくなるんですね、私でも解んないものができ
あがります。だから複雑化してわざわざ金を掛けて動かないものを造っている
のが現状です。下水道そのものを私は否定してないんですが、本当は下水道な
んかないほうがいいんですね、特に地方の山原型の集落なんかですと、私は下
水管もいらないんじゃないかと最近考えるようになりました。側溝がすでにあ
りますから、側溝で汚水を集めてそれを綺麗に処理して地域の水資源として使
う。農業用水ぐらいには十分使えますから、そういう使い方をして海へ流さな
い。島に降った雨は-回きりでは流さないというやり方を取ることはできます。
今の沖縄の水の使い方ってのは端的に言いますと、南の雨は全部海へ捨てて北
の雨をダムで持ってきているんでしょう。ですから石川位以南の雨水はほとん
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
ど使ってないはずですよね、全部汚して捨てている。これでは水が幾らあって
も足りません。北部にダムを造ればいいって言いますけど、いくらダムを造っ
たって日照りの時は水がない、沖縄は永久に水不足に取り付かれるわけですね。
それでいて南半分の水は全然使わないで汚して捨てているんです。こんな無駄
な使い方ってのはないですよ、何とかしなきゃならない。そうやって考えてみ
ますと幾らでも直さなきゃならない所がありますね。多分これからの公共投資
というのはむしろ島の自然を元へ戻して行くために使うべきではなかろうか、
南で言えば地下水を綺麗にしてそれを飲み水に使っていくために汚れを減らし
ていくほうが筋なんじゃないかと思います、飲み水で言えばですね。下水道に
も幾通りもあるという事をご納得いただければ、そこからまた先、道は生まれ
てくるかと思います。
【質問】
手作り石鹸が良くないというのは誤解です、という事を解りやすく説明して
頂けませんか。
【答え】
廃油の手作り石鹸というのは苛性ソーダと反応させて石鹸を作るんですけれ
ども、その後グリセリンを分離しないでプリン状というか半分液体のような形
で使うもんですから、グリセリンが水に入りますと微生物の餌になってそれだ
け酸素を食う、それでいわゆるBODと言われています酸素を食べる量が多い
んですね。これは分ければもちろん減りますし石鹸その分の純度が良くなるん
で使いやすくなるんですけれども、分ける手間とそれから効果の方を考えて普
通は分けないでプリン状というかどろどろしたまま使っている。琵琶湖のよう
な湖に全部の廃水が流れ込んで下流の水源になるというふうな所では、琵琶湖
の中の魚が呼吸する酸素が十分あるかないかというのはかなり重大な決め手に
なりまして、そこで酸素を余計食うグリセリンなんかは分けておいた方が見掛
け上は綺麗な水っていうことになるんで、そういう議論になったわけです。つ
まり酸素を余計食うからまずいんだというふうな結論がだされたわけです。だ
けどこれは琵琶湖をとりまく滋賀県全体で考えますと、そこの所で石鹸を分け
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
て、グリセリンと分けて使うことで増えたり減ったりする分よりも、他の水の使い方で未処理で流して琵琶湖に入ってくる汚れの方の量がずっと大きいもんですから、ちょっとした石鹸の量が増えた、減ったという重箱の隅つついたみたいな議論をやってもしょうがないんですね。そういう測定をした研究所の人はそこまで考えなくて、グリセリンが混じってますから酸素をよけい食いますよという結果が出たのだけ出しちゃったわけです。これは当然新聞記者でなくても、それはどれぐらい大事な事なんですか、どれぐらいの違いなんですかと聞いてみれば、いやあ大した事ではなかったと言う答えが返ってくるはずですね。
今度は沖縄の場合ですね、沖縄の場合、今度は琵琶湖ではなくて島なんです。ここは、周りは海なんです。海の場合には実は酸素の多い少ないというのはほとんど影響しなくて珊瑚礁にいる生物、珊瑚虫も含めて魚も含めて、そういう生物にたいして毒でないのか毒なのかっていうのが決め手なんですね。ですから沖縄みたいにじゃんじゃん合成洗剤流して、それから畜産排水も垂れ流してやっている時に石鹸がどうこう何て言うこと事態がふざけているって話なんですね。そういう事をもちろんタイムスの記者に即座にピンときてくれっていうのは無理かもしれないんですけれども、でも今の新聞記者は大部分はやっぱり大学出てんですかね、だから知りませんってわけにもいかんと思うんですよ。だからせめて裏ぐらい取ったらどうだと、共同配信だから疑いもせず載つけるという習,慣は止めてくださいよというのが私のお願いでして、しょうがないからこっちが裏を取るというか、こっちが滋賀県にきいてみるみたいなことになるんですね。迷惑な話で、そっちでやる仕事をやるもんだからこっちの仕事が増えるっていうふうなことになっちゃうんですが、沖縄の場合は手作り石鹸がグリセリンを分けていようが分けていまいが大差はない。それより今、汚しているやつをどうするかのほうがよっぽど大事だということですね。
【質問】
社会主義国家も駄目、それから社会党も駄目、日本共産党も駄目と先程沖縄人民党と沖縄社会大衆党、そこに生きる道があるんじゃないのかということを
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
お伺いしましたが、そこのところもう少しお話お願いします。
【答え】
実は幾つもの根拠があってそう言っているんですが、一つは今曰本で一番新
しい政治的な動きは何かというと、地方政治グループなんです。東京あるいは
関西、北九州という大都市圏の周辺で生活の問題、学校給食だとかあるいは逗
子の場合は軍事基地だとかあるいはごみの問題だとかいうふうな生活の問題を
取り上げて、主として革新系無所属、ある部分は例えば生協なんかから出てく
る部分もあるわけですが、地域のネットワークを組んでいると都市間にもネッ
トワークを組みはじめた、これが一番今のところ新鮮な政治的な動きなんです
ね。正に社会大衆党ってのは沖縄の中ではそういうものなんです。つまり地域
の政治グループなんです。首都圏周辺の大都市周辺の地方議会、市町村議会や
県議会なんかにでている人に聞いても国の選挙の時には適当に決めますと、社
会党だったり社民連だったり共産党だったり、その時その時の状況に応じて投
票します、だから中央には自前の代表は持たないというのが今の方針なんです
ね。ひるがえって社会大衆党は復帰運動の中で国に代表を送るためにほとんど
そのエネルギーを消耗しちゃったわけです。安里さんを送ったところが民社党
に行かれちゃったとか、いろんな事で消耗しちゃいまして、そんなこと初めか
らやらなかったらもっと力があったはずなのに、そこのところで力をすり減ら
しちゃった。それは勿体なかったですね。今こそもう一度地域の問題に割り切っ
て、それで沖縄の中でちゃんと勉強して活動すべきじゃないのかというのが一
つ、歴史的にみた大和との比較でみた社会大衆党への期待なんですね。人民党
についてもやはりそういう現実の中から出てきた強さをもっと生かしていける
んじゃないかというふうに感じます。これがまず第1点です。曰本の中でそう
なっているということです。
続いてですね、ブラジルで見た事例です。ブラジルで非常に優秀な学生さん
が政治に走りまして、都市ゲリラをやって曰本の大使館員の誘拐かなんかやっ
て、身代金をとった事件が20年ぐらい前にあったんですかね。彼等はそういう
都市ゲリラで新左翼の運動をいろいろやったんだけど、結局最後にどうもやっ
ぱりこれは見込みがないということにたどりついたって言うんです。どうした
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
かっていいますと、政治状況も変わって彼はお尋ね者でなくなったもんですか
ら国へ戻って来てサンパウロ市の確か議員をやっているのかな、たまたま私は
その論文を読んだその男が、たまたまパウロ・フレイレという世界的な教育学
者がいますが、その人の娘さんと結婚して義理の息子になったもんですから、
フレイレのところに行った時に俺の義理の息子にちょっと政治の好きな奴がい
てな、おまえ論文渡すからちょっと読んでみるよ、参考になるかもしれんと言っ
て見せてもらった。そしたら彼がそういうことを書いていた。私は彼が都市ゲ
リラだとは知らなかったんですが、後で別の事で知ったわけですね、丁度今の
曰本の20年前の学生みたいなところを辿ってきて、彼が辿り着いた今の結論は、
要するにブラジル社会というのは政治的には腐った社会だけれども、腐った社
会で、例えば日本なんかがブラジル政府、連邦政府にいくら援助したってみん
な賄賂に消えちゃうんだ。だけど例えば大阪市とサンパウロ市が姉妹都市契約
を結んで人間を交流して、大阪の経験を若干の予算を付けてサンパウロで実現
しようというふうなことになれば、それは腐敗しないでかなり具体的にやって
いくことはできるという、かなり積極的な論文を書いているんですね。なるほ
ど都市ゲリラまでやって、例えば曰本の外交官誘拐というふうなかなり派手な
事をやった奴が20年経ってこういう結論に達しているのだとすると、これは信
用してもいいかなあと思うようになったんですね。そういう経験もあって、私
は市町村レベルでの議会というのはもっともっと力を持つべきだと思いますし、
もっともっと若い人が出てくれればと思うんです。
沖大なんかでも、ですから沖大はいったい何のためにあってどんな教育をや
るんだ、私らは村役場の要員が勤まるような学生と言ったんですよ、そういう
のを養成するためにこの大学はあるんだ、司法試験なんかは琉大にまかせときや
いい、まあ通るなとはもちろん言いませんけど、もっと沖縄にはやっぱり固有
のやらなきゃなんないことがある、それを解いていけるような教育をここでや
ろうではないかとそんなふうに考えるようになったんですね。留守の間に糸数
慶子さんが県会議員になった。県会の選挙ってのは全体には保守の方が強かったということで、まあそうだるといったんです。今沖縄で革新が増える客観的
条件はなにも無いですから、さっき言ったように勉強もしないでただ胡座を力。
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
いてるだけで増えるほど政治の世界は甘くないですから革新が増える条件はあ
りません。ただその中だんだんに、実際に運動の経験を持った人が出ていくっ
てのはいいことだろうとそんなふうに感じたんですね。
もう一ついない間に進行した事で不本意な経過になったなあと思ったのは、新石垣空港です。特に専門委員会といわれた池原先生が委員長になった委員会が議事録の公開もできないままに宮良陸上案とか何かわけの解んないものを出して、結論も出せずに解散したっていうのは沖縄の知識人の恥でなくて何だ。大学の教授があんな所へ入ってながら結論も出せないなんて恥ずかしく思わん
のかということですね。公開したら私は言いたい事が言えないなんて大学教授が言う事か、確かに大和でもそういうのはよく言いますけどね、公開したら本音が言えないなんていうこと大学の先生が言いますが、私はそういうのは首にすべきじゃないかと思いますよ。人の前では本当の事が言えないなんていうの
がなんで給料貰って大学教授を勤めてるか、それも社会的にかなり尊敬される
職種でしよ、私も当然長い事いたんでしみじみ思ったんですけれども、我々は
我々で自分の職業を馬鹿にし吃めて来たとつくづく思うんですよ。人前で本音が言えないなんていうことをぬけぬけと言えて、それに高い給料払うほど世の
中甘<ねえなあとしみじみ思ったんですね。戦後の大学の歴史をずっと振り返っ
てると、要するに我々は給料貰い過ぎてたっていうか、まあそんなこと言った
らここじゃあ怒られちゃいますが、かつがっ食ってるわけですが多すぎるとは
何事だと叱られるのはしょうがないんですけれども、しかし戦後ずっと振り返っ
てくると本当の事を言わないような大学教授にだれがこんな高い給料を払うの
であろうかとず-つと不思議に思っていた。そういう点で言えば私は東大助手
ぐらいが丁度自分には向いているというか、教授の3分の2ぐらいの給料がい
いとこだなあと思ったことありますね。ですからこれも沖縄の問題だと思うん
です。つまり沖縄の東大なんて琉大が威張っている時にですね、だから御用学
者が大勢居るから沖縄の東大なんだなんて僕らに言われて返事のできない琉球
大学では困るんですね。国立大学というからにはやっぱり人前でちゃんと本当
の事が言えるような先生がいなければ困ると思います。そういう結果で大変不
本意な結論に終わったんですが、あれは実はやりょうがあったわけです。つま
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
り今までの候補地を全部AからZまで並べまして、その一つ一つについて、例
えば風向きでいうとここは何点、建設費でいうとここは何点というふうな相対
的な点数を付ける事はこれは可能ですね。今度は環境問題が重視された時には、このグループの評価に対して例えばウエイトをかける、3倍にするとか、安全
問題が重視される時にはそこを2倍するとかいうふうに、いろんな操作をやると相対的な有利さというのが皆変わってくるわけです。その時その時の政治的
な条件に応じてそういう比較をやりまして知事として、例えば安全性を重視するんだったらこれでいきましょう、環境問題重視するんだったらこれでいきま
しょう、国際世論重視するんだったらこれでいきましょう、空港の大きさを重
視するんだったらここにウエイトをかけましょうとこういうふうな事をやれば、後は皆いろんな意見を言って落ち着くとこに落ち着けばいいのでありまして、それをここが駄目だからここっていうふうにいろいろいじるから益々おかしな
ことになる。白保海上が駄目だったら白保陸上、白保陸上が駄目だったら今度
は宮良陸上っていうふうに次から次へといじって動かしていくから、動かされた方はそりやあ当然文句言いますよ、何で動かされたんだか解んないもん。なぜしかしそういうふうないろんなウエイトをかけてずらっと並べるというふう
なごく当たり前の手法を県庁では考え付かなかったのか、そのへん不思議でし
ょうがないですね。誰でもそれぐらい計画やろ人間だったら常識として考える
と思うんですね。
それからもう一つ、皆の意見が自由に出やすいように考えると思うんですね。
それをなぜ沖縄ではやらなかったのか、結局軍政府、民政府の時代から進歩し
ていない。よらしむべし知らしむくからずという権力政治の時代から進歩していないのじやないかという気がするんですね。留守中に-つ意外な方向に変更
した事例が新石垣空港の事例でした。更にまたごたごたして空港は遅れるであろう、まあそれもいい薬になるのかなあという気もするんですけどね、随分無駄な時間と金の使い方だなあという気はいたします。
最後にこれは伝えておこうと思ったのは、実は中央政府はまだ暫くは、まだ
数年は金の問題は気にしていません。中央の役人達は金をよけい使いたくてうずうずしてます。だから沖縄でこういう政策をとれば、例えば空港の建設費が
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
2割増えるとかいうのは、彼等にとっては有り難い話でどうでもいいどころか
むしろ沢山使ってくれっていうのが沖縄に対する言い分なんです。ただ私はそ
れは長い目で見たら損すると思います。下水道の場合みたいにいくらでも使っ
ていいですよと言われて、ほいほい使ったら後で借金背負って苦労するのは皆
さんでありまして、県庁の役人でも中央政府の役人でもないのですね。だから
物によってやはりそこは慎重に考えなければならない。空港なんかの場合には、
むしろ金がネックではないということですね。それよりも無理なく合意形成が
できて、自然も壊さないで造れるんだったら2割や3割の予算は付いてくると
いうことです。土地改良についていえば、2割ぐらいは付けるって言っている
んですよ。局長が赤土流さないために2割ぐらい余計にかかるのは、そりやあ
常識ですと言っているんです。常識ですって言っているのに県ではそれは技術
的にできませんって言っているんですね。こんな馬鹿げた話ありますか。私が
局長の所まで行って沖縄で赤土が流れて本当に困っているんだと言ったら初め
て聞いた、そういう事には金掛けて流れないようにしていますと局長が言うん
ですね。だけど沖縄県から一度もそういう事を言ってきたことはありません。
だから知りませんでした。というのが、それが3年ぐらい前の答えでして、今
でもおそらく中央ではほとんど知らないでしょう。中央に対するものの言い方っ
ていうのが、私も多少栃木県なんかで行政に関係してたもんですから役人に聞
いたんですね、中央の企画通りにやって何かまずい事がでたらどうするんだ、
そりやあ文句言います、変えてもらいます、あたりまえです。だけど沖縄県で
聞いたら中央の偉いお役人にそんな事とってもおっかなくていえません、とい
うのが答えでした。それだけの違いがある。ところが中央の役人の方は何か地
方から言って来るのを待っているわけですね。旨い事があったら必ず金つけて
自分の手柄にしようといしている、そこのギャップといいますか両方から見た
違いが大きな壁になっているという事を痛感します。
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
(雪菫繍霧澱二契鰯iiE鵲羅喜騨エモニ墓鰯)
(2)資料:沖縄大への旅行報告書
【第1回旅行報告】92.5.27
4月30曰から5月3曰、モントリオール郊外のオーフォードで開かれた異文
化会議LivingwiththeEarthは、アジア、アフリカ、アメリカの原住民文化
や伝統生活文化を守っている集団が交流し、曰本からは山岸会が参加して大成
功でした。資本主義市場経済とキリスト教中心の価値体系の行き詰まりの打開
を、非白人的伝統文化に求めようとしたこの会議で、多くの参加者から指摘さ
れた伝統文化の破壊の大きなきっかけとして、先進国の援助の負の役割が大き
くあげられたことでした。これは沖縄で高率補助を体験した者にはある程度直
感的にわかることですが、援助を受ける側の実情が、援助を決定する当事者に
よって理解されなかったり、権力者の都合により無視されて、援助の当初の目
的とはちがったところへ消えてしまう現実があるということです。沖縄でも、
どんなに必要なことでも、補助がつかなければ政策が実現しないという空気が
政治に行き渡っているのが、これに似た現実としてあります。貧富の分極化が
沖縄以上にはげしい発展途上国では、このような援助の決定過程が、本当に助
けを必要とする層の参加なしに進行することが、もっと当たり前であり、援助
の分配が-つの利権として関係者に受け取られていること、マルコス政権崩壊
過程以来のフィリピンで明白に見られた通りであります。しかし我々納税者と
援助の受取手と表向きになされている受取国の大衆にとっては、このような状
況がつづくことはやり切れない話であり、変革を要することは明白であります。
この会議に、多数のカナダ政府関係者や援助機関の責任者が参加して討論に
加わったことは、曰本ではめったに起こり得ないことで、残念ながら我々の援
助に対する考え方が、国内レベルではまだ水準が低いことを物語っています。
しかし援助の真の意味を知り得るということでは、高率補助の体験を持つ沖縄
に住む者は有利な立場にあるように思われます。いずれおそかれ早かれ、沖縄
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
でもこの種の議論が持ち上がるものと思われ、今から用意しておくためにはよ
い機会でした。
山岸会の参加は大変興味をもって迎えられ、報告もかなりわかりやすいもの
であったように思われます。集団内部でお金を必要としないというのを伝える
のはそう容易なことではないと思われるだけに、この参加は成功であったと考
えられます。本来は沖縄やアイヌの先住民文化の参加を求められていたのです
が、それが実現できなかったのは残念なところでした。山岸会の代表の一部は
リオの地球サミットにも参加するとのことです。
会議の準備、進め方についても、参考になるところは多々ありました。主催
者は10人程の研究員をもつ研究所ですが、組織的な人脈を利用して、広く援助
機関や民間団体の代表を集めたあたりは相当なものでした。会場は外から電話
も一本しかなく不便なところでしたが、忙しい人々を集めるにはこれも一案か
もしれません。
サンパウロまでの空路はいささか長く心配でしたが、案ずることもなく着き、
知念先生に全面的にお世話になりました。ことに、滞在中は先生の所有する都
心部のアパートに泊めていただいております。表が大通りで夜中音がしますが、
極めて便利なところです。
今回も学長が来られないということで、学部長以下、大変残念に思うとのこ
とでした。小生は22曰にマッケンジー大で学生、教授陣に曰本の公害法の形成
過程について話す他、29日には同大のヒゼルダ弘中先生(先回沖縄に来られた
女性)との討論、20曰には琉球国際経済会議での講演、それにサンパウロ大で
講演1回を予定している由です。まだもう少しつけ加わるかもしれません。6
月1曰前後にはリオに移動し、地球サミットの方に約2週間かかることになり
ましょう。それまでにどこを見るか、目下思案中です。リオでの動きは、多少
新聞などで報道されるかもしれません。
先ずはこの調子なら今年はやれそうです。とりあえずお知らせまで。
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
【第2回旅行報告】92.5.305月15曰(金)、知念先生に案内してもらい車でサントス手前のCubataoを見
学する。サントスの港から陸揚げした原料で、石油精製、石油化学、化学肥料、製鉄工業などの総合的な操業を考えて狭い谷間に工業地帯を配置したが、大気汚染の条件を考えに入れてなかった為に激しい大気汚染が起こり、生命に危険が認められ、現在年間15-30曰の操業停止が命令されているほどである。1950
年代に立地した古い工業であるために、建設時に公害の問題が考慮されておらず、あとからの手直しによっての対策は、効果が少ない。空気中の煤塵量635
mg/cubicmeterという数値もあり、最悪時の2/3程度に改善されたとはいえ、依然として当分は公害の激甚地としての悪名が残るであろう。水の汚染も当然かなり進行している。
その夜はサントスに泊まる。この町は巨大な観光都市、リゾート地であって、
後背地はサンパウロだけでなく南米全体に及ぶという。従って夏の最盛期には数十万の観光客が集まり、長さ数キロの海岸が人で埋まるが、最近はその先のグアルージャの開発が進み、ますます集まる人が増える結果になっている。そ
の割には砂浜は汚れておらず、目立ったゴミは見られない。海岸にはピン、カ
ン類は持ち込み禁止になっていて、割合よく守られているようである。少なくとも曰本の海岸に見られるような大量のゴミは細かい砂の中には見られない。
下水による汚染もほとんど見られない。あとでわかったことだが、去年から下水は沖合いに海中放流をしているので、海岸の汚染は大分改善されたということである。海岸は全部公有化されており、プライベートビーチは見あたらない。
グアルージャのほうは更に清潔で、足で踏んだところの砂が鳴く現象が見られ
た。これはかなり砂がきれいな証拠である。全体にサントスは観光地としても、
港としてもよく管理されているという感じの都市である。サンパウロから来てみると、街路も清潔である。ただし治安は最近サンパウロなみに悪いとのこと
である。
5月20曰㈱、教育学者パウロ・フレイレと会食、来曰の印象を聴く。曰本については伝統維持という点でよい印象であるという。但し時間が短すぎて掘り
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
下げた感じはつかめなかった由である。部落解放運動の識字運動は高く評価し
ている。これは経験的にフレイレの理論と同じような経過で展開された運動で
ある。事実大阪での識字運動集会では、彼の理論は比較的早く理解されたよう
である。但し、彼の理論では教師の努力の比重が大きいので、曰本の教員組織
のように階級理論を前提にするところでは、なじみにくいところがあろう。彼
の義理の息子にあたるLadislauDowberの地方自治と都市間協力に関する論
文をもらう。あとで読んでみると、ブラジルの都市問題について、かなりよく
まとまった論文であり、参考になるところが大きかった。
5月21曰(木)、マッケンジー大学において法学部の学生.教授を対象とした講
義を行った。内容は曰本の公害対策法の生成過程について、戦後の歴史をまと
めたものであった。聴衆は熱心に討論にも参加し、ブラジルの現状に関連した
議論も多く、深夜までつづけられた。ブラジル公害の現状は日本の1960年代に
よく似ているという私の発言には皆衝撃を受けたようである。日本では公害規
制法の効果と民事訴訟の効果が重なりあって、ここまで改善されたという指摘
が討論の中でなされたのは、私にとっても新しい体験であった。教授の大部分
は判事・検事・弁護士を兼任しており、実務から来た鋭い指摘が多かった点は
参考になった。曰本では国の法律があまり役立たず、地方条例による規制が有
効であったこと、規制の結果として水利用の合理化が起こったことは、ブラジ
ルにとっても参考になるという意見であった。公害防止において、法律学者の
果たした役割が大きかった事実は、法学部の学生にとっても刺激になったよう
である。学生の中には南北問題との関連で、かなり単純化した議論をする者も
いたが、それはそれで今のイデオロギー的な議論の水準を示すものとして面白
かった。現実の問題をどれだけ解決できるかによって、議論を評価する立場か
らすれば、現在の南北問題の議論の大部分は、南北の支配者同志の指導権争い
に過ぎないものである。日本でもブラジルでも、政党がこの問題にほとんど答
えが出せない点もそこにあろう。二昔前にイギリスの労働党の一部に流行した
環境問題は労働者の福祉にとって二次的な問題だから、その優先順位は低いと
いう議論がここでも今、幅をきかせているらしい。現実の中に入って地域の問
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
題に取り組むのは、現在の政治理論にとってあまり得意な領域ではないようで
ある。
5月22日(金)、サンパウロ州の衛生研究所に相当するCETESBを訪れ、水質
担当者のGuazzelli技師から説明を受ける。サンパウロ市の下水は、全量チエ
テ川に入るが、下流でせきとめられて支流を逆流し、今世紀初頭に英国人技師
によって造られた人造湖貯水池からサントス側に落とされて水力発電に利用さ
れる。当然支流と貯水池の水質は極めて悪化するので問題は多い。試験的に全
量チエテ川に流したところ、サントス側の工場用水が足らなくなったことと、
チエテ川の下流の水質が悪くなったので、現在は半々に流している。サンパウ
ロ市はチエテ川の最上流にあり、水が足らず、下流のカンピナス周辺から33ト
ン/秒の水を送っている。下流でも水があればそれだけ工場誘致などが出来る
ので、水の取り合いが今起こっている。サンパウロ市の下水道普及率は10%程
度であり、これを上げてゆくのには莫大な資金が要るので困っているところで
ある。
サンパウロ市は大きな工業都市なので、工業排水の比率も大きく、工場地帯
では50%に及ぶところもある。この負担を減らすために、下水道料金に水質料
金を加えてみようかと考えているが、まだ実行はしていない。一応水質規制法
はあり、悪質な場合には操業停止もできることになっているが、まだ適用した
例はない。ここでは経済の力が強すぎて手が出せない。従ってせいぜい工場と
相談して改善してもらう位のところである。この点、多国籍企業は規制も対策
技術も知っているので、話をつけやすい。地元資本が頑強に粘ることが多い。
結局一曰がかりで討論し、実験室を見せてもらったが、ここの研究員は相当
質が高い。勿論州の実力によって異なるが、環境の問題については連邦よりも
州に重点があるのがブラジルの特徴である。これは、連邦の環境問題のとらえ
かたが、南北問題との関連において、開発中心であることとも関係しているの
であろう。
5月23曰山、カンピナス郊外にある山岸会農場を一夜訪れた。山岸会の活動
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
は、その基本が有機農業にあることと、共同生活による低い消費水準とで、以
前から注目していたし、自主講座と相互に出入りしていたメンバーが何人かい
たために、その活動内容もある程度知っていたこともある。そのためにモント
リオールの原住民文化交流会議にも出席してもらい、リオのフォーラムにも参
加を勧めた。しかし海外の実顕地を訪ねるのは初めてである。入植以来4年で、
十数名が共同生活をして、かなり高い自給度の暮らしをしているようである。
山岸会の農業における循環の重視は、胡椒やコーヒーに典型的に見られるよう
に収奪型の農業を続けて来たブラジルの農業にとっては、全く新しい考え方で
あり、それがここにどのように定着するかは大いに興味のあるところである。
1,000ヘクタールのオレンジ園の広大さには驚かされたが、そこに堆肥を入れ
て苗を植えているのもおそらくブラジルで最初であろう。私の体験からも、こ
の規模で共同生活をして、清潔な暮らしを維持していることには感心した。労
働集約型で生産性の高いこの農法が、ブラジルでどのように受け入れられるか、
その共同体生活が、西欧的イデオロギーの強いこの地でどう受け取られるか、興味をもって見守りたい。
5月25日(月)、パラナ州都クリチバで開催された第3回国際ジャーナリスト環
境シンポジウムに出席することと、JICAの研修生で来曰していたソアレス
君のいるパラナグア郊外のポンタル・ド・スルにある海洋研究所を訪れるため
に、クリチバ市へでかける。ブラジルで一番きれいな町と自慢するだけあって、
サンパウロとくらべても、一段と静かで清潔な街である。会議では地元クリチ
バの新聞記者が大いに気を吐いていた。ここで5分ほど、顔なじみの読売の岡
島記者が司会者として発言の時間をくれて、ブラジル公害大国論を説いた。
26曰はクリチバとパラナグアを結ぶ、前世紀に建設された鉄道で、海岸の港
であるパラナグアに降りる。これは内陸部の産物であるコーヒーや穀物を運び
出すために、山岳部を当時最新の技術で鉄道を建設したもので、今曰でも使わ
れている上に、観光用にも価値が高い。1,000メートル近い標高差の急な路線
をゆっくりと降りてゆく展望は大したものである。
海洋研究所は設備らしい物はほとんどなく、観測船もないが、悪条件の中で
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
よく基礎的な研究を重ねている。一般にブラジルでは金にならない基礎研究に
は金をかけないという空気が強い。芸術のように個人の資質で進められる分野
はそれでもよいが、科学技術のように積み重ねが必要な分野では、これでは結
局外国からの導入に頼らざるをえない。ブラジルに民族資本が育たないのも、
この辺に-つの原因があろう。その中では若い科学者はよくがんばっているよ
うである。パラナグア港の航路のしゅんせつの結果、海岸線のおもいがけない
ところに浸食が起こっていることなどを、貧弱な設備でよく調べている。
5月27曰(水)、パラナグアからクリチバヘの道路を経て車で移動する。急な山
腹に片道3車線の自動車道路を造るような、大規模土木工事はブラジルは得意
である。もっともこの種の工事は国際資本の土建業が請け負うのであって、そ
の国の技術の水準とはあまり関係がない。ただし、地質学のような、応用科学
には刺激になり、それを促進する効果がある。カルロスの父君Olavo氏も地
質学者であるが、自然を愛し、風雪の中をくぐり抜けて来たような風格のある
技術者で、この地域の特徴ある地形についての著書をもらう。
午後、パラナ大学の地質教室で、簡単な討論を行う。ここでも産業公害に対
する関心は強く、熱心な討論がつづくが、飛行機の時間で打ち切られる。地質
学の立場からすれば、当然鉱山排水による公害が関心の中心になるが、それだ
けでなく水質も考慮の対象とするよう勧めた。無機の水質因子については地質
学ですでになじみがあるから、若干の有機関係の因子を導入するだけでかなり
の範囲を担当することができる。当然早く手をつけた所が先に進むであろうし、
応用部門でもあるからそこそこに予算は出る。それで曰銭をかせいで、やりた
いことをやるという手もある。曰本でも基礎部門が軽視された時期、それで食
いつないだ方法である。そうでもしなければ、この計画性のない国では、基礎
研究は生き延びられないであろう。
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
【第3回旅行報告】92.6.205月31曰(日)、RiodeJaneiroに移動。旧知のMrs・SandraHakonの自宅に
当分世話になることとする。但しこれは新開地の住宅地で、政府間会議のリオ・セントロには近いが、民間団体の集まるフラメンゴ公園には遠くて不便なのが問題である。彼女の調査しているアマゾンの水銀問題について話を聞くが、予想したよりかなり広範囲に問題が広がっているようである。
6月1曰(月)、フラメンゴ公園を見学する。初冬というのに4(度近い猛暑ですっかり疲れるが、-通り見て歩くとほぼ半分以上が準備できて、展示が始まっている。Nq30のテントは曰本館で、全期間曰本の民間団体が展示を準備するとのこと。
6月2日(火)、前曰の猛烈な暑さに負けたのか、38度以上の発熱で2日休むことになる。この暑さは過去60年間で最高とのことで、異常気象の表れではないかと話題になる。
6月4曰㈱、夕刻涼しくなってから公園の会場へ行き、東大の中西準子助教授に逢う。政府間会議の会場は入場許可をもらうのがかなり厄介と聞き、そちらはあきらめて民間団体(NGO)会場のフラメンゴ公園に集中することにする。
6月5曰(金)、Global500賞授賞者の昼食会が、公園の一角Rio'sRestaurant
で開かれるので、それに出席。旧知の友人数名に会う。曰中少し歩くとやはり暑くてめまいがする。
夜、Sandra宅で夫君DerekHacon氏の誕生会パーティーに深夜まで付き合い、その後リオ州の衛生研究所の職員Aibe君の家が公園に近いのでそちらに
移動する。州衛生研究所FEEMAで1981年開かれた環境アセスメントの研修会の際に、私が講師として招かれて以来の友人である。曰系三世で曰本語も達者である。
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
彼の話によると、リオ州の知事をPDT(文字どおりに訳せば民主労働党で
あるが、名前と実態は全く別であると多くの人がいう)が取って、FEEMAの
幹部も党員を任命したが、党の方針によれば環境問題は労働者の福祉にとって
優先順位の低い問題だから、地球サミットにも参加せずFEEMAもNGO会議
にも消極的であるというが、どこかで聞いたような議論だと思い出した。20年
ぐらい前、ヨーロッパの社会主義政党の中に一時はやった議論で、英国労働党
でも論客のクロスランドがそのような発言をして、老経済学者ミシャンに厳し
く批判され、後に考えを変えて、労働党内閣の環境大臣として活躍したことが
あった。ブラジルの議論は、20年遅れていることになる。
しかし2曰の公園会場の開会式には、クリチバ市長、サンパウロ市長の参加
発言があり、大変な人気であって、そのまわりでTDPの旗も大いに振られて
いた。両市長共党員ではないのだが、政策が近いということでこのとき顔を出
してきたのだろう。
6月6曰仕)、夜、前曰同様、Global500賞授賞者の夕食会。
6月7日(日)、公園会場にて、曰系市民の盆踊りを中心に、JapanNightがひ
らかれる。大変な人出で、日系市民の曰頃の努力がしのばれるが、若者が出稼
ぎで少ないのが残念である。
6月8曰(月)、国連大学学長HeitorGurgulinodeSouza氏の依頼で、Ipanema
にある私立の法律学校FacultidadeCandidoMendezで最近国連大学から出版
した私の編著IndustrialPollutioninJapanについて講義を夜8時から行う。
ここは英語で講義したが、かなり年輩の学生が多いせいか、通訳なしであった。
一般には、大学生でもあまり英語が通じないのは、曰本と似ている。国連大学
の業績発表の一夜というところか。古い修道院を改造した校舎だが学長の
CandidoMendez氏の威勢のよい講義には圧倒されるものがあった。
6月11曰休)、週前半は猛暑が続き、いささか疲れ、休みながら会場を見て回っ
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
たが、曰本からの参加者もほぼ発表を一巡し、他国の団体との交流を試みる段階に入ったようであり、明曰河川、ダムについて、ブラジル・インド・カナダ
等の関係者を集めてシンポジウムを開く手配を、長良川を守る会の天野礼子氏が中心になって用意しているとのことで、協力をすることになる。
6月12日(金)、朝、曰本館にてその曰の行動につき打ち合わせ。宮本憲一氏より政府代表団への働きかけが少なかったとの反省があり、宮沢首相が来なかったことへの失望感は政府・民間双方の会議にひろがっていること、アメリカの
消極的態度とあいまって会議全体への否定的評価の原因になっていることが報告される。
これまでそつぼを向いていたPDTの党首が公園会場で演説をするという話。にぎわいに置いて行かれては大変と方針を転換したのであろう。ポルトガル語で労働組合論を聞かされてもわかるまいから敬遠する。
夕方6時より川とダムのシンポジウムが曰本館にて開催される。特別ゲストとして米国のDavidBrower氏が参加。シェラ・クラブ会長を長く務め、フレ
ンズ・オブ・アースを創設し、ダムの不要'性、有害性を長年証明してきた人だけに、その論旨には説得力がある。つづいてブラジル・パラ州の女性議員がツクルイ・ダムについて報告。バングラデシからインドのダムの被害について発
言があったところで、インドの推進論者から猛烈な反論があり、場内一時騒然となるが、天野礼子氏の司会でなんとかおさまる。チベットのダムの被害についても報告あり、かなり強烈な工事がなされているらしい。気がつかなかった
が後で地図をよく見ると、氷河の流末には湖水が多く、揚水型など種々の水力
計画があるらしい。中国の三峡ダムの計画について曰本の参加の程度が問題と
なる。ここでも曰本のODAの不透明性、非公開性が批判の的となる。また世界銀行の融資が多くの場合、環境を破壊する巨大ダムの計画を支えていること
について、他の会場と同様、ここでも強く批判された。議論が白熱して深夜までかかり、私の発言は最後になったが、最近の技術の進歩と限界についてまと
め、運動の重要性について強調する。優秀な通訳にも支えられて、この会議は大成功であった。
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
6月13日(土)、夕刻東大の中西助教授と会食し、これまでの情報を交換し、中
間的な総括をしてみる。中西氏は主として政府間会議を傍聴し、次のような感
想を得たという。
1)地球的な環境の悪化については、各国政府にかなり認識が行きわたった感
じがする。
2)日本とブラジルの他のNGO(民間団体)の活動は、政府間会議の会場の
中に吸収されて、民間会場の公園のほうにはあまり目立たなかった。これは
私も同感。ある曰本外交官の表現に、「NGOというのはあの公園でゴチャ
ゴチャやっているあれですか」とあった由だが、外交官の認識の程度を表現
するとともに、曰本のNGOの状況をも表現している。
3)このNGO活動をうまく操作して、自分の手駒にして会議を進行させたの
が、事務局長のモーリス・ストロングである。いろいろな評判はあるが、こ
こまで全体を引っ張ってきたのは、大した手腕であることは認めなければな
るまい。竹下らをおだてて引き入れた作戦も巧妙である。
4)米国の不熱心さや中国の紋切り型の発言にくらべて、まじめに議論につき
あってきて、折角高まった曰本の評判を一度にぶちこわしたのは宮沢首相の
不参加であった。曰本の外交官の努力を無駄にしただけでなく、会議全体の
期待感に水をかけ、暗い感じをもたらした。この原因がPKO法案というこ
れまた国際関係の問題であるのは皮肉だが、与・野党ともに政治休戦を考え
るぐらいの国際感覚が欲しかった。土井たか子さんでも来ていれば社会党も
もっと点が稼げただろう。
5)曰本のNGOがもう少し以前から国際活動を盛んにしていて、政府と協力
していれば、こういう国際感覚が培われたのではないかと考えるのは、ない
ものねだりで無理だろう。むしろ環境庁のように弱い官庁に、ストロングの
ようなNGOを利用する政治感覚を求めるほうが先決である。
6)カストロの演説は短いなかに内容が濃く、思わず拍手をした。ああいう国
を代表する顔になる政治家や人間が、曰本にもほしいものである。
公園のNGO活動はたしかに国連会場に入れないブラジルと曰本の活動が目
立ち、その内容が発表から交流にすすんだところで会期が終わった感があるが、
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
外部からは曰本のNGOが恒常的ネットワークを持つよう、繰り返し強い要望
があった。この点ではまだ全く用意ができていないのが曰本の実状である。ま
た曰本の政府援助についての期待が極めて強く、それですべての問題が解決す
るような幻想が存在する。これは民間団体においても同様で、曰本のNGOが
金を配分できるような誤解がしばしばあった。多くの被援助国では、援助の大
部分がスイスの銀行に消えるような機構があり、ブラジルも例外ではない。前
回紹介したダウバーの論文ではこの点が詳しく論じられていて、地方自治の強
化にその解決を求めている。政府を介しない、自治体やNGOなどへの援助が
将来必要になるだろう。そのためにも曰本のNGOのネットワークが必要であ
る。全国自然保護連合などは、そういう機能をもつべき責任があるのではなか
ろうか。
6月14曰(日)、宮沢首相の声明が発表された機会に日本NGO団体の意見をま
とめて発表することになり、記者会見に同席し、ストックホルムから20年の変
化について若干意見をのべる。参加が増えたことを積極的に評価し、ネットワー
クの形成を宿題とする。夕刻の飛行機でベレンヘ飛び、連邦パラ大学のギマラ
エス教授に会う。今回アマゾンの水銀汚染についての情報をここで教えてもら
うことになる。
6月15曰(月)、パラ大学熱帯病研究所で、ドウラド所長、水銀研究班長ベルナ
ルド博士、ギマラエス教授からアマゾン流域での金の採掘にともなう水銀汚染
の概況を聞く。80年代に入り数か所で大規模に操業しており、汚染は始まった
ばかりと考えられ、既に魚の中に数ppmの水銀が検出されるに到った。百聞は
一見にしかずということで、午後ブラジルTVの取材したビデオを見せてもら
う。なるほど大変な広さのところで大変な乱暴さの採掘である。泥の中に金の
粒子があるので、銅板に水銀を塗った上に水で流し込み、水銀に金を捕集させ
る。このとき水銀の半分近くは水中に失われるともいう。金をとかしこんだ水
銀はトーチランプで加熱して蒸発させると、あとに金がのこる。ここで水銀は
空中に揮散して大気を汚染する。これまで1,000トンをこえる水銀がこの用途
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
に使われ、環境中に失われたとみられる。リオの公園会場でもこの件の議論が
あり、予備的な調査の報告があったという。
6月16曰㈹、前曰にひきつづきデータの検討。公園会場で入手したデータは、
エレクトロノルテ社がヘルシンキ大学環境科学科に依頼した調査結果であり、
ツクルイダムの流域で、魚に数ppm、動物に25ppm、住民の毛髪に最高240ppm
というおどろくべき蓄積が生じているのは、どうやら事実らしい。これでは死
者が出てもおかしくはない。ツクルイダムはベレンのすぐ上流だけに、これは
おおごとである。別のルートから確認をしてみるつもりである。
6月17曰㈹、朝ギマラエス教授に送られてベレンを出発、レシフェに向かう。
途中数か所に飛行機が着陸して、市街地と農地がみえるが、次第に荒廃の度を
増してくる。
6月19曰(金)、昨曰、今曰とタクシーをやとい、市内と周辺を見学するが、ブ
ラジルで最初に植民地化され、400年以上収奪の歴史が続いたために、かなり
荒れた感じである。治安も相当悪化している。肥料も入れずに400年砂糖黍を
作ってきて、よくまだ収穫があると感心するほどである。まだ沖縄なみの黍の
太さがある。最初はよほど士が肥えていたのであろう。植民地農場主と奴隷に
よって成り立った社会で、しかも土地の供給が無限に近いとあれば、持続的な
収穫などは誰も気にしないというメンタリティになるのも当然であろう。持続
的開発そのものが、ブラジルにおいては新しい課題なのであろう。アマゾン開
発についての議論も、その辺を頭に置いて考えないと不毛な論戦にまきこまれ
るおそれがある。開発の権利などという議論は、誰が誰のために言っているか
を見ないとならない。カストロの主張する先進工業国の環境債務というのも面
白い発言であるが、カストロであるからこの発言が意味をもつのであって、ブ
ラジル人が言ったらおかしなものである。今度の地球サミットで、中国の紋切
り型発言が説得力を持たなかったのも、一般論に終始したからであった。これ
は今後気をつけるべき問題である。
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
6月20曰仕)、午前9時よりSantanaandSaoPaoloCollegeにて松原教授の
紹介で曰本の公害について講義する。百数十人の年配の学生が熱心に聴講する
ので、話すほうも力がはいる。公害の映画PollutedJapanも上映、午前中一
杯討論が続く。この学校はちょうど増設前の沖縄大学とよく似た大きさで、学
生数6,000という。土曜日は連休中で、松原先生も予想しなかった出席率と討論であった由。
夜8時より琉球国際経済協会において公害の話。知念先生の紹介による。最
後まで忙しい旅であるが、曰本語なので少しは楽である。曰系人に代表される
アジアの持続的農業のブラジルにおける重要性について話す。曰系人の今曰ま
での努力については頭が下がるものがある。
6月21日(日)、松原先生、知念先生と会食ののち、ホノルルへ向けて出発。
【第4回旅行報告】92.7.30
7月2曰(木)、沖縄発香港経由にてオーストラリアへ出発。3曰シドニー着。
7月5曰(日)、シドニー市見学。
7月6曰(月)、アーミデールにあるニューイングランド大学で開かれたアジア
学会出席、日本とアジアの環境問題について講演と映画、好評なり。9曰まで
学会で種々曰本研究に関する講演を聞く。戦前の曰本のアジア進出など、初め
て聞く話もあり、かなり詳しい研究が多い。
7月10曰(金)、アーミデール発シドニー経由キャンベラ着。オーストラリア国
立大学(ANU)政治経済研究所にて日本の公害につき映画と講演。曰本の政
治的未来に関する討論は参考になった。資源環境研究センター(CRES)か
らは誰も出席せず。かねて聞いたこともあり、さぞありぬくしと思う。質問や
討論を総合すると、サンゴ礁の死滅や森林の減少などを別として、これまで広
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
い国土でほとんど目立たなかった環境問題が、ここ数年急に表面化してきた傾
向が著しい。農業も、大部分が牧畜を中心とした粗放的な性格のもので、優良
な農地は元来少ない。特に内陸部の農地や河川の塩分と栄養塩類の増加が広範
囲に生じて、農業の生産性が低下の傾向を見せているのが注目される。停滞性
の河川ではこの栄養塩類の増加で水質が悪化し、水の悪臭、魚や生物の死滅な
どが広く見られるようになった。一方で、植民開始以来からの兎など外来種導
入や在来種生物の絶滅などの問題も改めて取り上げられ、環境問題は先端の政
治問題化した感がある。政府の反応も、州と連邦とそれぞれいろいろであるが、
オーストラリアの労働党は比較的早くから独自の立場で現実の環境問題と取り
組んできた実績があり、緑の連合の活動も活発である。理論的にも、ヨーロッ
パより進んでいる面もある。
7曰12日(日)、シドニーに戻りWollongong大学のブライアン・マーチン博士
と会食。氏はANUのCRESで長く働き、科学の社会的役割を中心とした科
学社会学の論文を幾つか発表しており、その中に環境問題や原子力発電も含ま
れる。日本に於ける科学者の待遇、研究発表の自由などについても相当知識を
もっている。曰本ではこの種の研究は少なく、彼の論文には参考になるところ
が多い。私が公害原論でたどりついた結論と共通なところがいくつかある。
7月13曰(月)、シドニーからブリスベーン・ケアンズを経てポート・ダグラス
へ。ここは典型的な長期滞在型リゾートで、グレート・バリア・リーフに面し
ている。旧知のメルボルン大学田中利幸教授に合流、リゾートとリーフの視察
がおもな目的である。2ベッドルーム、台所その他完備しており、2人で1万
円程度であり、ともかく安い。このあたり曰本資本の進出も盛んだが、現地の
所得水準では高くて手が出ない。日本人向けの施設に限られるだろうとのこと。
他にも鉱山など資源をねらっての資本進出は多いが、長期的見通しについては
どうももうひとつ物足りない感じがある。目先の利益だけを恥も外聞もなく追っ
てきたから高度成長があったという説はどうも本当らしいと思い当たる。
ビクトリア州と曰本の通産省との共同事業で、褐炭の液化の大規模研究が試
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
みられたが、石油のコストに追いつけないとして研究は終了したという。そんなことはやる前からわかっていることで、むしろ湿式燃焼でも研究したほうが役に立ったと思うが、その程度の発想すらない技術者の視野の狭さに、あきれる思いがする。最終目標がエネルギーならば、そこへ行くまでに複数の道があることにさえ気がつかないのが曰本の技術者であるとは情けない。もっともそれを増幅しているのが200年の植民地根性から抜けられないオーストラリア側の態度であるとの指摘がある。そうなると沖縄の場合には400年であるからもっと大変なことになる。
7月17曰(金)、グレート・バリア・リーフの先端にあるアジンコート・リーフまで、ポート・ダグラスから約2時間、高速双胴船で客を運び、リーフの近くに固定した筏に客をおろし、そこからスノーケルやスキューバ・ダイビングなど、あるいは泳げない人にはグラスポートなど、種々の方法でリーフを見せるツアーに参加した。沖縄ではもうほとんど見られなくなった見事なサンゴ礁で、保護にもたしカユにずいぶん気を使っている。海水の透明度も高く、今のところはまず健康な状態であるといえよう。勿論グレート・バリア・リーフでも、オニヒトデの異常発生とサンゴの死滅は、1960年代から問題になっている。これも気がついたら手遅れということになりかねない。特に大陸側の栄養塩類の増加は、この数年始まった段階であるから、その影響が出るのはこれからかもしれない。ここしばらく、気をつけて見ている必要があるだる・
7月18曰(士)、ポート・ググラスーケアンズーブリスベーンーメルポルンーホバート、北の端から南の端へ約2,000キロ。たしかにだいぶ寒くなった。
7月19曰(日)、TasmaniaWildernessSociety事務局長、NewNorfolk議員のJackLomax氏と会食。同席のDrJulietLavers女史は去年曰本を訪問し、来年も訪曰の計画ありとのこと。パルプ廃水と有機塩素化合物の問題に興味がある由。曰本パルプ3社、大昭和・十条・三菱がタスマニアのチップを買っているという。
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
7月20曰(月)、Lomax氏の案内で近くのMountFieldNationalParkのユー
カリ原生林を見せてもらう。大きいものは90メートルを超えるものがある。大
きな滝もあり、観光地としても可能性の大きい地域である。
7月21曰㈹、同じくLomax氏の案内で、最近国立公園を解除されて、皆伐
によってチップ材を生産している地域を見せてもらう。主としてユーカリで、
全量曰本に行くという。この地域に混在していた松の一種HuonPineは、堅
くて軽く、虫がついたり腐ったりしない特性があったので、船や鉱山の構造材
として珍重され、伐採されて絶滅に近いという。しかし州の林野部は、累積赤
字のため安値で森林を払い下げているのは、日本と似た政策である。タスマニ
アは、比較的自然が残っていることと、自然保護運動のまとまりなどの点で、
曰本の北海道と似たところがあるように思われる。運動の優先順位を考えると
き、オーストラリアの中でここに重点をおくことが有効かもしれない。
7月22曰(Zk)、Queenstownへパスで出発。氷河の底の削り残されたゆるい地
形が牧場になっている中をパスが走る。やがて高原の森林に入るが、起伏がゆ
るいことは同じである。突然、月世界のような風景が現れる。これが金・銀・
銅で有名なQueenstownの鉱山の採掘跡である。露天掘りの巨大な穴は、直径・
深さとも400メートル位ある。現在はこの下さらに4乃至500メートル下を掘っ
ているが、あと数年の寿命である由。銅の相場の大きな変化がない限り、この
鉱山は体山することになる。若干は自然に植生が再生するところもあるが、足
尾銅山と同様、表土が完全に流されてしまったところも多く、今後もこの異様
な風景が残ることになろう。
7月23曰(木)、Queenstownから朝バスでパーニーに出発、高原地帯の森林が
皆伐跡になり、そのあとに松やユーカリをモノカルチュアで植林したあとをパ
スが走る。これほどにゆるい起伏の高原地形があるとは驚きなり。たしかに近
代林業では、もし最大生産量を求めようとすれば、皆伐後モノカルチュアの森
林を育てることがその最短距離である。植林後十数年が経過し、一応森林らし
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
くなっているが生態系としては全く別のものである。万一山火事や病気があれ
ば、その価値は瞬時にして失われるであろう。ここに、自然界の変動を忘れた
我々の近代技術の限界と危険性を見るおもいがする。
午後、DevonportからM・VAbelTasmanに乗り快適な船旅で翌朝メルボル
ンに到着。TheTownhouseHotelに宿泊。
7月24曰(金)、少々休養。一昨曰あたりから若干、夜になると心臓に負担がか
かる。当分あまり欲張らず、休みながら曰程をこなしてゆくことにする。夕方
から、小田実と曰本の市民運動についてメルボルン大学にて対談、考えてみれ
ば、我々が学生時代に珍しい先輩として、荒畑寒村や羽仁五郎を招いたように、
今度は我々が招かれる年代になったのである。今何が必要かについて腰を落ち
つけて考える場所が恒常的に必要におもわれる。環境保護運動については、国
際的な連携を強化するためのネットワークの結節点として、外部に対して発信
する場所が必要である。この旅行のいたるところで尋ねられたのは曰本の状況
と誰に連絡をすればよいかであり、これはちょうど自主講座が果たしていた役
割であった。イデオロギーに左右されない発信所が必要なことは今も変わらな
いようである。
7月25曰仕)、午後ラトローブ大学のクロス博士来訪、科学者の社会的責任に
ついて研究していて、来年3月にオーストラリアの全国大会をひらくので、そ
こに招待したいとの申し出があり、快諾する。英・米両国を中心に、この問題
は現在ヨーロッパにひろがって議論されているとのこと。来週にもこの問題を
めぐって二つの学会がスウェーデンで開かれるので、それに出席するという。
特に中学、高校の理科教師の間で、科学の社会との関係をどう教えるかが議論
になり、ただ事実と社会への利益になる面だけを教えるのでなく、マイナスに
なった例も伝えなければならぬと議論され、その教科書も用意されている。そ
の中に水俣病なども加えられるため、資料を探しているとのことである。曰本
では、小学校の教師による数学教育研究協議会の活動がこれにやや似ているが、
より教育効果を重視しているといえよう。理科教育ではまだこの種の動きはな
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
いようである。一つは大学に於いても、科学史、技術史の教育がまだ定着して
いないし、科学技術のイデオロギー性についても、ほとんど議論されていない。
この点では残念ながら、日本はやはり遅れていることになる。この辺には、意識的な無視があるのではなかろうか。
夜、田中教授宅で、自主講座に来ていて翻訳グループで活躍したウェンディと、小田実と会食、アジアの予想される変動と環境について議論する。曰本の
海外派兵の危険性が大きいことについては意見が一致する。
7月26曰(日)、メルボルンからシドニーへ移動。
7月27曰(月)、シドニーからオークランドヘ移動。ここから先は全く案内なしの旅になる。オークランド周辺の複雑な海岸地形に感嘆する。緑の多い、閑静できれいな街なり。
【第5回旅行報告】92.8.16
7月26曰(日)、シドニーからオークランドに移動、以後ニュージーランドの旅行となる。今回は特に仕事の予定を持たず、現地側との接触も用意しなかった。ほとんど観光ルートに乗って以下の行程で動いた。
オークランド(4泊)、パイヒア(2)、オークランド(1)、ロトルア(2)、
ウェリントン(2)、クライストチャーチ(2)、グレイマウス往復、クウィー
ンズタウン(2)、ミルフォード、サウンド往復、インバーカーギル(1)、クライストチャーチ(2)、オークランド(1)、シドニー、香港経由沖縄。ウェ
リントンまでの北島はレンタカーで移動し、南島は鉄道とパスで移動した。
以上のような短期間の曰程であり、現地側の協力も求めなかったので、以下の所見は観光旅行者の管見であり、なお調査をしなければ決定的なことは言えないが、現在の中間的な結論としては以下のようになる。
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
1)人間活動の影響:約千年前マオリ人が渡来するまでは哺乳類がほとんど居なかったこの島に、原始的な飛べない鳥、モアを初めとして特異な生態系が存在したが、人類の渡来によって大きな影響を受け、モアは絶滅し、その他の生物種も激減した。さらに19世紀前半からのヨーロッパ人種の渡来以後、捕鯨、アザラシ毛皮採取、森林伐採と導入種による造林、牧場化、ゴールドラッシュなど、環境を大きく変える活動があい続いて導入された。この結果、ニュージーランドのほとんど全面を覆っていた森林の大部分は消滅し、北島の亜熱帯雨林などは、僅かに数パーセントが残っているにすぎない。とくにその優占的な樹木であったカウリ材などは、堅く腐らない良材であり、大きい木では1本で5軒の家が建てられるほどであった為に、絶滅に瀕するほど伐採された。またこの木が分泌する樹脂は、塗料の原料として高く取り引きされたために、沼地に埋もれた樹脂の採取に地面が大きく攪乱されたこともあった。このような過去の状況は、今曰の景観から想像することが困難なほどであったらしい。これにくらべて南島のフィヨルド地方の状況は、比較的よく残っているといわれる。
現在ニュージーランドの景観の大部分を占めている牧場は、肥料をかなり投入しており、その影響としての富栄養化は、一部の小河11には認められる。長期的には表土の流出は問題になろう。低地では、集約化、草地潅がいが-部進められており、農地や果樹園に転換することも可能である。酪農製品、羊毛などの牧畜産品は、この国の輸出の中で大きな地位を占め、今後も主要な産業であろう。鹿、野牛など、新しい生物種も導入されている。羊毛の市況は目下低迷しており、今後他の製品への転換が進むものと思われる。キーウィーフルーツやワインの開発はその成功した例としてよくあげられる。また低密度に植林して、林業と総合経営することも試みられている。
林業では、現在造林地を伐採して、日本へパルプ用チップを大量に輸出している。今後伐採期に入る造林地は当分増える見通しであるが、資源の安売りとして問題化する可能性もある。これはオーストラリアでも問題になった
ことである。ここではニュージーランドは曰本に対して木を売って車を買っているとよく言われる。
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
製造業はあまり発達しなかったので、一部を除いては工場排水による水質
汚濁の問題は少ない。過去に局地的にパルプiプロkによる水銀汚染の問題があっ
た。河川によっては泥岩の浸食流出や氷河による浸食で、著しい濁りがある。
2)観光業の見通し:19世紀後半から、イギリス、アメリカの観光客を対象と
して、ロトルアやミルフォード、ヘプンなど、温泉や自然景観を利用した観
光業が成立し、その経験が蓄積されて来た。大衆化時代を迎えて、宿泊施設
も数多く整備されており、金額に応じて選択が広くできる。地域のツーリス
ト・インフォーメーションセンターがよく整備されていて、ほとんどの申し
込みがそこでできるようになっている。これはオークランドのような大都市
でも、クウィーンズタウンのような観光地でも同様であり、旅行者にはとて
も便利に感じられる。オーストラリアの観光客対策が、団体客に重点を置い
ているのと対象的にここでは個人客を対象としているように感じられる。
1930年代の大不況に、ケインズ政策で失業対策として山間部の道路が整備
されて、今日の盛況の基盤となっている。マオリ文化の紹介や道路改修で、
不要になった橋を利用したパンジージャンプなど、新商品の開発にも力を入
れているし、自然保護も熱心である。自然が観光資源であることが、はっき
りと認識されている。温泉やスキーなどの自然条件にも恵まれている。
また物価も安く、宿泊費は曰本のほぼ半分、その他は3分の2位に感じら
れる。道路や建造物などのストックも、少ない人口を考えると、曰本よりは
るかに多い比率になる。宣伝についても、曰本の観光業で感じられるような、
商業的な押しの強さは感じられず、それだけ余裕があるとも言える。宣伝関
係の資料を若干集めてみたが、各地のインフォーメーションセンターなどで
包括的に集められている。宿泊費も明示されていて、すっきりした感じがす
る。
このようにニュージーランドの観光業は、参考になる点は多いが、真似を
するのは無理である。競争相手としても、強すぎて勝負にはなるまい。どこ
へ行っても曰本人の観光客は多く、パンジージャンプ(足首をゴムひもでく
くり橋から川めがけて飛び込む遊び)など曰本人で商売が成り立っているよ
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沖縄大学紀要第11号(1994年)
うなものである。曰本語の案内パンフレットも各種用意されている。士産品販売などに曰本資本の進出も目立つが、将来地元との競合がタイの例のよう
に問題になるかもしれない。今後も増加が見込まれる曰本人やアジア人の観光客などを対象として、この国の観光収入は増えることになるだろう。他の産業とのバランスや政策的な配慮については、今回は調べる機会がな
かったが、もし来年3月のオーストラリアの学会招待が実現すれば、数曰ニュージーランドに寄って、 政策面を調べる機会を作りたいと考えている。
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